悪用?
さて、利用という言葉を国語辞典で調べると
役に立つように使うこと、自分が利益を得る為に上手く使うこととある。ごもっともな内容で、世の中、皆が利用されて生きていると思うんです。それは、必要という言葉にも置き換えられます。
互いの利害関係や相違点が存在したとしても、互いの言動行動なりが、一致すれば、共鳴しても何ら不思議ではない。
私が一つの問題定義を取り上げたとする?その問題定義したことを文章にして本に載された事を「悪用」されていると「判断」した方々。何を根拠に書いているのでしょうか?問題定義の内容を捉えずに「悪用」と結びつけた方々、変ですよ!
問題を定義している中身については、何故に触れないのですか?イコール、協会の体質については、知っていて見ないふり!!何故、言論の弾圧については疑問視しないのですか?
単一民族発言した議員が、手のひらを返し、アイヌにすり寄りアイヌを食い物にしている現状を「どう考える?」北方領土問題を個人の利権に利用し滅茶苦茶にし、アイヌ問題までもグチャグチャにしている事には、何も疑問も何も感じないのですか?財団を利用した「悪事」。協会のシステムを利用した「悪事」。協会内の一部役員と親族が、どれ程、アイヌの現状を捩じ曲げているか!
その議員さんの日記に馬鹿な事が書いてありました。取材を申し込んだ側を拒否して正解!みたい事書いて、自分は、小さい頃から「アイヌの差別を見てきた!」だから、私はアイヌの人々の気持ちが理解できるとか書いてるけれど、あなたが、北方領土問題やアイヌ問題をどれ程、私欲の為に捩じ曲げてきた。?
都合の悪い連中と話し合いをしないで、逃げるのは、協会の手段で、支部総会や本部総会で「取材を申し込んだ側を一方的に嘘つき発言」している姑息な事をすることが「アイヌの誇り」とやらなんですか?アイヌは、チャランケする民族だ!!などと豪語しているのは、嘘でしょう?(*チャランケ。話し合い)都合のよい場所だけで持論を展開しているのは、いかがなものか?
私が、対談した雑誌を「公共の放送局職員」が、購入をするな!作者を儲けさせるな!コピーを私が配るから!などとメーリングリストを回したり。民族冊子を「公共の放送局の名刺と一緒に配布したり」一部アイヌ団体の活動の為のカンパを呼びかけるのは、問題にならないのですか?個人的活動と言えば済むのなら「公共の放送局の名刺と一緒に配布するのは公共の放送局の公平平等の立場を悪用していると言えないのですか?」ましてやカンパのメールなど最悪である。「公共の放送局が証拠を提出されて調査して報告すると言った以上、きちんとした報告が、なされるものと信じています。」
私や私の姉の定義が、悪用されているとご忠告下さった方々。何度もメールのやり取りを重ね、これまで出版されている本の中身と主張を確認した上で、掲載していただいたのです。「悪用」されているなどという「的外れ」な忠告は変ですよ。忠告なら私宛に直接下さい。チャランケ(話し合い)しましょうよ。ただね!理不尽な弾圧には屈しないし妥協しません。今回の雑誌への掲載は、双方に相違点があるのを確認した上での掲載です。
ペンネームで、姑息なメーリングリストなど使わないで、きちんと自分の意見に責任を持つのなら、正々堂々と意見すればよい。私は、ちゃんと受け答えします。又これら私が書いていることは、内輪の揉め事の受け取る方もいらっしゃいますが、税金が大量に注ぎ込まれている事実やありもしない歴史認識を作り上げる事、差別を食い物にする事を指摘しています。差別・差別とやたらに口にするが、道民が日本国民が、そんなにもアイヌを差別しているのか?全く無いとは私も言わないが、自分たちが逆差別をしていることに全く何も感じないのは、大きな偏りである。
もう一度、書きますね。今月のSAPIOに掲載されている、ゴーマニズム宣言の小林氏と話した内容は、私と姉の本心であり、掲載も納得の上での事です。私は、アンタッチャブルな領域に、あえて視点を注いでくれた、小林氏に感謝しているぐらいです。差別問題は、誰もが関わりたくない問題であります。それでも間違った事は、間違っていると明確に意見をすることは、必要な事ではないのでしょうか?アイヌ問題について明確な意見を述べる勇気ある議員さんや漫画家が存在する事は、本当に大切な事ではないのですか?でも一番、大切なのは、半分でも何分の一でも血を引いてる者が、声を上げるべきではないのか?それが、もし私の独り善がりだとしても「調べを止めないし・自分の意見を主張し続けます。」そして、近い将来、公の場で討論できる環境に結びつけたいと思います。
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