アイヌの歴史
コメント欄で読んでいない方もいらっしゃるのでは?
と、記事に載せる事をご本人に了解を得ましたので転載いたします。
副読本について
4/12朝刊26頁。上の見出しに「・・・2001年から使ってきたのに・・・」といかにも口惜しそうでした。私の手元にもこの副読本がありますが、これは父兄から「どうせ学校では使っていないから」ともらったものです。
本来であれば「2001年から使っていなかったのに・・・毎年2000万円!?」とすべきでしたね。
いずれにしても反日的記載が少し改まるまで道も国も予算を出さないということですが、
道新に載っている見直し後の記載「アイヌの人たちを旧土人と呼び差別的な扱いをしました。」なんていうのもありますが、
土人が当時もそして戦後しばらくも差別的言葉でなかったことは拙著『アイヌ先住民族その真実』に詳述してありますし、月刊誌正論上で鈴木宗男氏の差別的という見解を論破し、
鈴木氏もその後は差別的ということを言わなくなったことを考えればお認め下さっていると思います。
拙著を読んでいただければお分かりになると思いますが、この部分は、「アイヌの人たちを旧土人と呼び和人商人の搾取から保護し、子弟の教育や衛生思想の普及など一般国民とは区別して特別な配慮がなされた」とすべきです。
コメントで二風谷アイヌ資料館館長が歴史的研究を云々していますが、
厚真町では仏典を入れるための常滑焼壺が発見され、アイヌ出現の100年以上前、厚真町は奥州藤原領だったことが明らかになっています。
さらに平取町からは正倉院御物と同じ組成の青銅器(奈良時代ですよ!)まで出てきてしまって、もうアイヌが北海道の先住民族だという前提は物的証拠によって完全に覆されています。
アイヌ副読本は現場で使われてもいないのですから、事業仕分けの対象の第一とすべきです。
『縄文人はどこからきたか?』(2012:北の縄文文化を発信する会・編)、
国立科学博物館人類研究部の篠田謙一氏によると、縄文から続縄文期の北海道先住民に全く見られないミトコンドリアDNA(タイプY)がオホーツク文化人あたりから現れ擦紋期そして近世・現代アイヌへ受け継がれているということです。
ミトコンドリアDNAは母から子へと引き継がれますので、篠田氏はこのことから、
「縄文時代よりあとの時代にはいってきたものだろうと想像しています。特にYというタイプ(的場注:オホーツク文化人に特徴的)が入ってくるのはかなり新しい時代だろうと思います。」としています。
そして東北関東の縄文人、現在の沖縄人と北海道の縄文人はDNAに共通点を見出しています。
つまりアイヌは北海道の縄文人とは系統を異にし、後から入ってきたことがDNAレベルからも証明されています。
篠田氏もアイヌには北海道先住民に全く見られない・・・とアイヌは北海道の先住民ではないと明言しています。
そうなると「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」(国会決議)の次の文言「アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し」は誤りであったことになります。
山田秀三氏の東北にもアイヌ語地名があるからここまでアイヌがいたというのも間違いで、東北および北海道のアイヌ語地名は縄文人が残したものであるとすべきです。
結局、北方にいたオホーツク文化人もしくはその系統が擦文文化人を駆逐して広がったのがアイヌであり、その百年まえには平取まで奥州藤原氏もしくは天皇の統治が行われていたということです。
ちなみに、北海道大学法医学教室に保存されているオホーツク文化人の骨の傷から判断するとこの人たちはかなり好戦的だったということです。
この決議を推進した今津ひろし議員には早急にこの新事実を踏まえて国会決議の文言の訂正、もしくは破棄への行動を起こしていただきたいと思います。
正しい北海道の歴史、正しいアイヌの歴史の構築のために、道新もぜひご協力ください。
的場光昭
科学的事実でもあります。
是非、真実を他の方にも知ってほしい。
(管理人その2) 拍手ボタンとブログランキングを押してくれると管理人のモチベーションがあがります^^
と、記事に載せる事をご本人に了解を得ましたので転載いたします。
副読本について
4/12朝刊26頁。上の見出しに「・・・2001年から使ってきたのに・・・」といかにも口惜しそうでした。私の手元にもこの副読本がありますが、これは父兄から「どうせ学校では使っていないから」ともらったものです。
本来であれば「2001年から使っていなかったのに・・・毎年2000万円!?」とすべきでしたね。
いずれにしても反日的記載が少し改まるまで道も国も予算を出さないということですが、
道新に載っている見直し後の記載「アイヌの人たちを旧土人と呼び差別的な扱いをしました。」なんていうのもありますが、
土人が当時もそして戦後しばらくも差別的言葉でなかったことは拙著『アイヌ先住民族その真実』に詳述してありますし、月刊誌正論上で鈴木宗男氏の差別的という見解を論破し、
鈴木氏もその後は差別的ということを言わなくなったことを考えればお認め下さっていると思います。
拙著を読んでいただければお分かりになると思いますが、この部分は、「アイヌの人たちを旧土人と呼び和人商人の搾取から保護し、子弟の教育や衛生思想の普及など一般国民とは区別して特別な配慮がなされた」とすべきです。
コメントで二風谷アイヌ資料館館長が歴史的研究を云々していますが、
厚真町では仏典を入れるための常滑焼壺が発見され、アイヌ出現の100年以上前、厚真町は奥州藤原領だったことが明らかになっています。
さらに平取町からは正倉院御物と同じ組成の青銅器(奈良時代ですよ!)まで出てきてしまって、もうアイヌが北海道の先住民族だという前提は物的証拠によって完全に覆されています。
アイヌ副読本は現場で使われてもいないのですから、事業仕分けの対象の第一とすべきです。
『縄文人はどこからきたか?』(2012:北の縄文文化を発信する会・編)、
国立科学博物館人類研究部の篠田謙一氏によると、縄文から続縄文期の北海道先住民に全く見られないミトコンドリアDNA(タイプY)がオホーツク文化人あたりから現れ擦紋期そして近世・現代アイヌへ受け継がれているということです。
ミトコンドリアDNAは母から子へと引き継がれますので、篠田氏はこのことから、
「縄文時代よりあとの時代にはいってきたものだろうと想像しています。特にYというタイプ(的場注:オホーツク文化人に特徴的)が入ってくるのはかなり新しい時代だろうと思います。」としています。
そして東北関東の縄文人、現在の沖縄人と北海道の縄文人はDNAに共通点を見出しています。
つまりアイヌは北海道の縄文人とは系統を異にし、後から入ってきたことがDNAレベルからも証明されています。
篠田氏もアイヌには北海道先住民に全く見られない・・・とアイヌは北海道の先住民ではないと明言しています。
そうなると「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」(国会決議)の次の文言「アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し」は誤りであったことになります。
山田秀三氏の東北にもアイヌ語地名があるからここまでアイヌがいたというのも間違いで、東北および北海道のアイヌ語地名は縄文人が残したものであるとすべきです。
結局、北方にいたオホーツク文化人もしくはその系統が擦文文化人を駆逐して広がったのがアイヌであり、その百年まえには平取まで奥州藤原氏もしくは天皇の統治が行われていたということです。
ちなみに、北海道大学法医学教室に保存されているオホーツク文化人の骨の傷から判断するとこの人たちはかなり好戦的だったということです。
この決議を推進した今津ひろし議員には早急にこの新事実を踏まえて国会決議の文言の訂正、もしくは破棄への行動を起こしていただきたいと思います。
正しい北海道の歴史、正しいアイヌの歴史の構築のために、道新もぜひご協力ください。
的場光昭
科学的事実でもあります。
是非、真実を他の方にも知ってほしい。
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