DNA云々論
時折、ネットのSNS等でアイヌのDNA云々論を真顔で語っている人を見かけるが・・・・・
本気で書いているのか?と疑いたくなるコメントが溢れていることに呆れてしまう
呆れるというよりも所謂アイヌ利権側の落ちこぼれ研究者やアイヌコンプレックスのアイヌ屋と同じベクトルでアイヌ論を展開しているのを見て顎が外れそうになる程に差別的見解の多いこと(本人達にその自覚はないだろうが?)
そもそもの議論として、アイヌって何?という議論を放棄してDNAが~とか
書いているが、長い混血の歴史の中で『どの何のゲノムを持ってしてアイヌというのか?』そして『そのアイヌとは何の基準を持ってしてアイヌと言っているのか』ここを完全に放棄してというより、無視してDNA鑑定をすれだの何だのと書いてるが
それならば、DNA鑑定で証明しろと謳う側は何者なのだ?
おまけに、SNS等のやり取りを読んでいると、定義がどうした何だのとお決まりのセリフが出てくるのだが
あの~同じ日本国民であり同じ日本人であるはずの同じ人間に対し
差別再生産の政策が明らかに存在し郷土や国の歴史を歪められていることを何にも疑問に感じないのですか?
近年ではゴールデンカムイに代表されるようにメルヘンで面白おかしく捏造された漫画の背景にアイヌ協会がいて、何人であろうとアイヌ協会が認定すればアイヌになれて、アンタッチャブルな政策、利権を生み出す必要が何処にあるのかという要の議論を放棄してDNA論を真顔で語る連中こそ『差別主義者』というのではないか?
これをアイヌの研究本を書いてる、的場光昭氏の様な、いい年をした人間が率先してネットに撒き散らしている事実
こうした馬鹿なDNA論者が何を生み出しているかというと、つり目のアイヌがいるだの在ヌだのという罵詈雑言を蔓延させて
論点を自らがはぐらかしているだけで、真実を書いているようで実のところは所謂アイヌ利権やアイヌお抱えの自称研究者と同じベクトルで騒いでいるに過ぎない。
DNA論で騒ぐのであれば『先ずは自分が率先して、自らのDNA検査をしその違いを明らかに』されてはどうか?
そしてアイヌのDNA検査というのであれば、所謂アイヌとは何であるかを時代区分やゲノムの何を持ってしてアイヌというのか
その定義を明確にしなければなるまい。
所謂アイヌと一括りにされているがシュムクル・サルンクル・メナシクル・ペニウンクル・ウチラ等、社会・文化の系譜の違う者達を何処で何の理由で一括りにしているの説明もない。
何よりもDNA検査を受けて万が一『所謂アイヌ』とやらの証明が出来たとして
証明ができれば、その人はアイヌ政策を受けてもいいのですか?
同じ権利を有する日本国民でありながら何故アイヌ政策等という別枠が必要なのか?
そして何故、現代においても、その政策が拡大利権化し、そこにメスを入れられないのか?
こうした根本を抜きにしての議論は裏を返すと利権アイヌや歴史捏造をする自称アイヌ研究者と同じことを言ってるのに等しいのね。おまけに、白人がネイティブ・アメリカンの様な、本当の意味でのファーストネーションに犯した歴史と千数百年に渡って混血混交してきた日本の中の所謂アイヌ史を混同して語っている誤った認識こそ論点のすり替えでしかない。
差別をしていない!所謂アイヌ史も同じ日本国民の歴史だと胸を張って言えるならば『アイヌ政策の是非とその内容に立脚』してものを言えるだろうが、DNA論を持ち出すようでは自らが白旗を揚げたのと同じであろう。
SNSを私も利用しアイヌ問題では滅多にまともな意見が殆ど出てこないが
今日、アイヌ問題に対し、とても賢明な意見が端的に書かれていた。それは
「そもそも何でアイヌだと補助金が出るのかって話になる。
社会福祉であれば生活保護で補えば良い、百歩譲って先住民の文化継承予算なら博物館でも作って
伝統保存をしたら良い・・・・
国費が自助能力のある一個人の私的使用に対して支給されること自体が、税の使い方の公平性に欠けている」
私はこの言葉にアイヌ利権問題やアイヌ史の矛盾が全て要約されていると思います。
拍手ボタンとブログランキングを押してくれると管理人のモチベーションがあがります^^
本気で書いているのか?と疑いたくなるコメントが溢れていることに呆れてしまう
呆れるというよりも所謂アイヌ利権側の落ちこぼれ研究者やアイヌコンプレックスのアイヌ屋と同じベクトルでアイヌ論を展開しているのを見て顎が外れそうになる程に差別的見解の多いこと(本人達にその自覚はないだろうが?)
そもそもの議論として、アイヌって何?という議論を放棄してDNAが~とか
書いているが、長い混血の歴史の中で『どの何のゲノムを持ってしてアイヌというのか?』そして『そのアイヌとは何の基準を持ってしてアイヌと言っているのか』ここを完全に放棄してというより、無視してDNA鑑定をすれだの何だのと書いてるが
それならば、DNA鑑定で証明しろと謳う側は何者なのだ?
おまけに、SNS等のやり取りを読んでいると、定義がどうした何だのとお決まりのセリフが出てくるのだが
あの~同じ日本国民であり同じ日本人であるはずの同じ人間に対し
差別再生産の政策が明らかに存在し郷土や国の歴史を歪められていることを何にも疑問に感じないのですか?
近年ではゴールデンカムイに代表されるようにメルヘンで面白おかしく捏造された漫画の背景にアイヌ協会がいて、何人であろうとアイヌ協会が認定すればアイヌになれて、アンタッチャブルな政策、利権を生み出す必要が何処にあるのかという要の議論を放棄してDNA論を真顔で語る連中こそ『差別主義者』というのではないか?
これをアイヌの研究本を書いてる、的場光昭氏の様な、いい年をした人間が率先してネットに撒き散らしている事実
こうした馬鹿なDNA論者が何を生み出しているかというと、つり目のアイヌがいるだの在ヌだのという罵詈雑言を蔓延させて
論点を自らがはぐらかしているだけで、真実を書いているようで実のところは所謂アイヌ利権やアイヌお抱えの自称研究者と同じベクトルで騒いでいるに過ぎない。
DNA論で騒ぐのであれば『先ずは自分が率先して、自らのDNA検査をしその違いを明らかに』されてはどうか?
そしてアイヌのDNA検査というのであれば、所謂アイヌとは何であるかを時代区分やゲノムの何を持ってしてアイヌというのか
その定義を明確にしなければなるまい。
所謂アイヌと一括りにされているがシュムクル・サルンクル・メナシクル・ペニウンクル・ウチラ等、社会・文化の系譜の違う者達を何処で何の理由で一括りにしているの説明もない。
何よりもDNA検査を受けて万が一『所謂アイヌ』とやらの証明が出来たとして
証明ができれば、その人はアイヌ政策を受けてもいいのですか?
同じ権利を有する日本国民でありながら何故アイヌ政策等という別枠が必要なのか?
そして何故、現代においても、その政策が拡大利権化し、そこにメスを入れられないのか?
こうした根本を抜きにしての議論は裏を返すと利権アイヌや歴史捏造をする自称アイヌ研究者と同じことを言ってるのに等しいのね。おまけに、白人がネイティブ・アメリカンの様な、本当の意味でのファーストネーションに犯した歴史と千数百年に渡って混血混交してきた日本の中の所謂アイヌ史を混同して語っている誤った認識こそ論点のすり替えでしかない。
差別をしていない!所謂アイヌ史も同じ日本国民の歴史だと胸を張って言えるならば『アイヌ政策の是非とその内容に立脚』してものを言えるだろうが、DNA論を持ち出すようでは自らが白旗を揚げたのと同じであろう。
SNSを私も利用しアイヌ問題では滅多にまともな意見が殆ど出てこないが
今日、アイヌ問題に対し、とても賢明な意見が端的に書かれていた。それは
「そもそも何でアイヌだと補助金が出るのかって話になる。
社会福祉であれば生活保護で補えば良い、百歩譲って先住民の文化継承予算なら博物館でも作って
伝統保存をしたら良い・・・・
国費が自助能力のある一個人の私的使用に対して支給されること自体が、税の使い方の公平性に欠けている」
私はこの言葉にアイヌ利権問題やアイヌ史の矛盾が全て要約されていると思います。
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