北海道アイヌ協会の実態!身内潰し 弐

先日の続きであるが、携帯からの書き込みなので
いつにも増して誤字脱字が多かったらお許し下さい。

この不正を熱心に調べ証拠書類を地元紙の新聞記者に資料提供したが
地元紙に記事が掲載されることがなかった話は前回触れているが
この後、秋辺氏は執拗に意味不明な反撃に打って出る

先ず、不正を指摘した釧路町支部長と関係者に
内容証明郵便で「質問状」を送付し
その質問状のコピーを総勢80名以上の関係者やアイヌ財団などに
送りつけて内部告発者を誹謗する形で露見した自らの不正を正当化しようとした。

どんなに、弁明しようとも秋辺氏は何故「財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構」から釧路町支部に入金されたお金を旅行代理店に支払っているにかかわらず、旅行代理店が何故に秋辺氏の手元にお金を戻したのかは、一切弁明していない。又、旅行代理店も、その説明を果たしていない。

(この旅行代理店、HISグローバルインターナショナルは、日頃から国際交流や国内事業で懇意にしてきた会社でもあり、カナダの国際交流問題でも、この会社を使っている。今回、アイヌ協会の不祥事の別件でもこの会社の名前が至る所に出てくるのは何故なのだろうか・・・・?)


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この件の様に、アイヌ財団の事業の申請の手続きを知らない支部や人達に対して都合の良い様に立ち回ってきたのが
アイヌ協会の幹部達と断言しても良い。

そして、不正を内部告発するまともな一般会員を協会幹部全体で圧力を掛けるのが北海道アイヌ協会の体質である。
今回も多くの不正発覚後、秋辺氏は調査に来た「アイヌ財団」の職員にまで辻褄の合わない弁明に固執し一般会員を遠回しに脅迫している。

お金をもらっていないと言う人がいるなら、実名で教えろ!
その相手から直接、説明を受けないと納得しない!
教えなければ!支払いにも応じないし、その義務もないと豪語する。

それを調査に協力した一般会員の前で大きな声でまくし立てられては女性等、怖いと思って不正の告発に協力して後悔し口を閉ざしてしまうのは当たり前のことである。
今回の不正発覚後、アイヌ協会本部が直接足を踏み入れ改善策の協力に立ち入ることは一切ない、
何故なら同じ穴の狢ばかりである。

秋辺氏と同じ事を繰り返し、アイヌ政策で懐を肥やしてきた連中ばかりである
本部の人間が直接、秋辺氏と話をし印籠を渡すことは、自らも巻き込まれることになるからである。
(アイヌはアイヌを処分しないという変なルールがアイヌ協会にはある。次回で詳しく触れるが飲酒運転を繰り返しタクシーに当て逃げした札幌支部現役員や印鑑偽造に関わった役員を、アイヌはアイヌを直接処分しない暗黙のルールが存在する。即ち行政から処分などされないから、自分達役員の利権は役員で黙ってれば大丈夫!の方式みたいのが実際に存在する。内部調査の甘さを悪用した詐欺行為の集団以外の何ものでもない証である。)

ある、十勝地方の支部長(本部理事)など、直接、関与できない状況に自分の駒とも表現できる人間を
釧路支部の役員に立候補させ遠隔操作を目論む様な姑息な手段に出ている。

アイヌ協会の不正の歴史は本当に長くて深い。
そして、その不正を内部告発して戦った人達も少なからず存在するが正直、協会本部の圧力や利権に固執する役員の取り巻きの異常なまでのヒステリーに負けて姿を消していった事実は消せない。
こうした身内潰しがアイヌの政策に年間何十億という税金が投与されていても、文化も伝承事業も開花しない大きな要因であることは間違いない。

内部告発した支部や人間には、情報を与えない・行事に参加させない・恫喝や悪口の嫌がらせに
アイヌ政策を受けさせないなどの「おまけ付」である。
子供を学校に通わせようと考えている人には「恐怖」以外の何ものでもない。
歌や踊りを心の拠り所にしているお年寄りにとっては、利権と権力を持っている協会役員に意見することは本当に怖いことなのだと、これまで色々と調べてきて実感している。
又その場所を追い出されるよりも、不正も自分達さえ黙っていれば、いまの場所に居れるという人達の弱気に付け込んで、人様の名前を好き勝手に使って私服を肥やしているのが「北海道アイヌ協会」アイヌ屋の実態でもある。

微力ながらと一生懸命に、行政に意見を言う人
個人的にでもと資料を掻き集め新聞社に出すも、もみ消された人
怪文書やFAX攻撃で、協会を去った人達
本当に多くを見てきた。
こうした多くの人達にとって、アイヌ協会の不正と戦うのは、本当に酷だと思う。
アイヌ協会を取り巻く諸団体の圧力や新聞メディアの偏向と行政の重い扉を叩くことは、本当にエネルギーが必要であるし、アイヌ独特の空気の中で、声を上げるのは、ある意味で決別を覚悟しなければ無理でしょう。

結局、言っても無駄と諦めてしまう。
利権アイヌ屋もそれを知りつつ攻撃してくる
腐った構図である。

次回は、これも釧路元支部長の秋辺氏の実態をもとに内部監査の甘さを利用した「詐欺行為」と釧路市とアイヌ協会の癒着について触れてゆきたい。
その後に、有名詐欺師とタッグを組んだアイヌ協会の実態や日高地方・札幌のアイヌ屋の温床にも順を追って触れて行く。

追記、
私は、ここで、アイヌの歴史について「私の認識」を書くのは避けてきた。
不正事実と歴史認識は別であると考えているからでもあったが、最近の問いに多いのが、アイヌを否定している連中と手を組んでいるという「変な見解に少しだけお答えしたい」
私は、桜の番組でも、友人の小林先生の本の中でも明確に答えているが、アイヌを民族と言う定義で認識していない。
あくまでも「部族」の解釈です。
その解釈が、アイヌ否定と言う論議になるのが、私には理解しがたい

そろそろ、アイヌ協会が「民族」という用語を使いだした経緯や1926年に水平社運動の影響を受けながら解平社の組織された経緯等から、現代アイヌの利権に変化していった経緯(いきさつ)の説明も必要と考える。
解平社の設立に至っては、私のお祖父さんにあたる「トアカンノ」(複数の矢はいらぬという意味)と松井国三郎氏と小林鹿造氏と設立した組織であるが、アイヌ史が、解平社の解をシャモからのアイヌの「解放」!平等に扱えの「平」
と似非学者や親父の本を書いている人達が書いているが、私が親父から説明を受けたのは、全くと言えるほどに違う。
そうした私の根底にある思考も書く必要があると思う。

でっち上げと私が解釈する「アイヌ民族」は、私は躊躇なく否定する。
だが、アイヌ民族という言葉を否定することとアイヌを否定することとは異なる
私は私の中に流れている何分の一かのアイヌというの血の流れを否定などしていない
それは、親・姉・弟らを否定することに繋がり自身への否定と考える。

小林先生も的場先生も「アイヌ」を否定などしてはいないはずである。
正論での原稿も同じで、
歴史認識の見解の相違は当たり前のようにある
私が利用されているとか、否定論者と結託しているだとか、私には興味ない。
左でも右でも論議できるのであれば私は、いつでも壇上に起つ。
アイヌを認めるところで、不正を話しなさいとか、否定論者の所で、不正を暴くのは利用されているとか
そういった了見ではないのです。
私は、私の意志で、アポを取り意見を重ね共闘している。
5月にも私は、アイヌ協会本部がある場所で、壇上に立つ予定だが
それも、私の意志である。
起つ場所を選べと言う人も多かろうが、選択肢とその責任は、私個人の中にある「個」のもので
そうした「異端児とも言える」私如きの思考を正々堂々と論破出切る人達に出会いたいものである。
桜の番組では、アイヌ協会の不正の詳細な金額や実名や手口には触れなかったが、この場所では「明確に触れる」
桜と同様に動画も流されよう。
その後、間違いなく私も叩かれよう、だが、それで意見を言うのを辞める理由には決してならない。
アイヌ世間という狭い了見の中で、アイヌを語り作り上げるのは「アイヌの撲滅」であり「見世物アイヌ」を飯の種にするだけである。


私の意見にも大きな間違いの発言や思考もあろう
根本的に自分が、アイヌの血や文化や伝統を完全に否定し根絶を願うのであれば
こうした手口を使う必要などないし
実名で、公の場に出て、意見をする必要も無い。
違う手口があるだろうし、そうする事での私のメリットを考えると、マイナス要素の大きさと
自分の歳を考えると引き換えにするものが大きすぎる。
実名で意見することの必要は、賛否の論議を受ける必要性と、ある意味の「アイヌ」という文化に対する私の思いが無いとは絶対に言わない。
アイヌを民族と言う人もいる、私のアイヌ部族と言う解釈もあって当然だろう
だが、民族と言う曖昧な言葉を利権に変化させ、似非学者や利権アイヌ屋・政治屋の道具として使われる側面に対しては、躊躇無く矢を向け放つ。
(私は、部落の本も読むし正論を読めば世界も読んでいるし、辛淑玉氏の様な人達の本も読む
共感できる側面も一冊の本の中に沢山あるが、その逆も同じ様にある、それが当たり前だと私は思うのだが・・
その意見に対する反論と責任を問う論議は、左右問わずに必要であり、その論議を抹殺するのは間違いであろう)











テーマ : アイヌ
ジャンル : 政治・経済

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砂澤陣氏への応答――他者の民族的帰属を否定するということ

 砂澤氏から,先日のエントリへのレスポンスを頂いた。  北海道アイヌ協会の実態!身内潰し弐 - 後進民族 アイヌ  そこで言われたことについて,書いてみる。 私が利用されているとか、否定論者と結託しているだとか、私には興味ない。 左でも右でも論議できるのであれ

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そうですね。

歴史認識などを語るのがこの板ではないと思っています。
公金の不正支出・使用を許してきた行政や組織の実態を公表しこれからどうあるべきかを考えるかが大切だと常々思っています。

耳順

一昨日、北大教養時代に選択した人類学(担当は吉崎昌一先生)でレポートを書くために読んだ『シンポジウムアイヌ―その起源と文化形成』を本棚で発見して読みなおしてみました。1972年刊ですから、シンポジウムのメンバーである埴原和郎(44歳)、藤本秀雄(44歳)、浅井亨(41歳)、吉崎昌一(40歳)、河野本道(32歳)の各先生と北海道新聞社会部記者の乳井洋一(36歳)による自由討論形式です。表紙にはシンポジストの顔写真も掲載されており非常に臨場感あふれる討論でした。その中でアイヌおよびアイヌ文化の形成期に言及する部分が何箇所かありましたが、アイヌ文化が形成される以前の擦文文化期にはすでに道内各地に鉄器を中心とする和人と擦文文化人との交易センター的なもの(トレーディングポスト)があったそうです。この時期に出土する金属器の99%は本州産だということから、平安期1135年に道内初の神社が立てられたはるか以前からいわゆる和人は北海道に移り住んでいたことが示唆されます。また同書でもアイヌ文化期は鎌倉以降と意見が一致しています。
 私をアイヌ否定論者だとネット上で決めつけていますが、アイヌ文化が北海道にあったこと、そして現在も細々とではあるが受け継がれていることを否定するものではありません。ただ、こうした歴史的事実に基づいて普通に考えれば国連宣言にいうところの先住民族では決してない、つまり『アイヌ民族を先住民族と認める国会決議』などは全く根拠のない単なる政治的権謀術数の産物でしかないと主張しているだけです。2008年『月刊日本』10月号p69において鈴木宗男氏は「はっきり言ってしまえば、的場氏のこの指摘は正しい。政治とは権力闘争である。権力を握ってこそ初めて自身の考える政策を実行できる。・・・」と書いています。鈴木氏が権力の座について何をなさろうとしているのかは知りませんが、こういう人こそ私はアイヌの存在を否定する人々だと思います。アイヌ系日本人の方々はこうした政治に利用しようとする似而非アイヌ肯定論者と早く縁を切るべきです。そうしないとこうした人々が目的を達するまでに振り回され続けて、アイヌの尊厳はズタズタにされてしまいます。鈴木氏と言動を共にする多原氏や佐藤氏に振り回されてカラフトや千島の利権を主張するなどは、世界の嗤い者への第一歩です。
 話は戻りますが、このシンポジウムを読んでいてすべてではないですが先の先生方の思想の根底に戦前日本=悪という発想が読み取れる言葉遣いがいくつかありました。しかし、その後、老成された先生方の著作を読むとそうした発想が払拭されております。つまり大人になったということでしょう。
 人は人生のある時期、自己の前に立ちはだかる(と思われる)他者を否定しなければ自己の存在を認識できない時があります。題名にあげた耳順は孔子の言葉ですが全文は「吾(わ)れ十有五(じゅうゆうご)にして学(がく)に志す。三十にして立つ。四十にして惑(まど)わず。五十にして天命(てんめい)を知る。六十にして耳順(みみした)がう。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず。」です。先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人の言葉が素直に聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」。つまり天命を知って他者にとらわれない己自身の存在意義を確立して行くうちに、六十にもなると他者にもやはり天命があるということを素直に認めることができるという境地に達するということです。他者を否定する被害者意識だけでは決して自己を確立することもできず、まして他者の存在意義を認めることもできない。結果は争いが待っているだけです。同じことをルソーは「彼は、十歳の時にはお菓子に、二十歳には愛人に、三十歳には快楽に、四十歳には野心に、五十歳には利欲に引っ張り回される」と言っていますが、政治家の野心や協会幹部の利欲にひっぱりまわされるアイヌの人々の真の覚醒のために努力される砂澤様に敬意を表します。砂澤様こそアイヌ系日本人に対する真の愛に目覚め行動する方だと思います。私は単に社会の在り方、日本国の在り方が、真・善・美という人間本来の徳性に基づくものであって欲しいと願い行動しているだけです。決して他者を否定するものではありません。

Re: そうですね。

必要と思われる面だけを答えるようにしたいと思います。
いつも有難うございます。


Re: 耳順

詳細な言葉、有難うございます。
先日、戴いた先生の著書を、あるアイヌの古老に差し上げたところ
後日、電話で感想を戴きました。

「アイヌの立場からの意見もあるが、こうした事を取り上げて下さることに深く私達は感謝しなければいけないね!アイヌと言う言葉で権利を求めるのは、非常に危険なことであり、私達は先住と言う言葉を建前にはしてこなかったはずだ。
曖昧な過去に執着するよりも、今、現在から先に何が見えるかを模索する必要があるね!

今のアイヌと叫ぶ者達は、その言葉さえ自らが壊し、先祖をイコロに変えることばかりの連中しかいない・・・・寂しいね・・・・
先生に伝えて下さい、私達も幼い頃に両親が開拓以外の「シャモ」とも仲良くしていたし大変世話になった。
私の兄弟にも「シャモ」の養子が沢山いた
読み書きも教わった
昔から、一杯、分け合ってきた場所が、北海道だと私は思っていますよ。」
そう話して下さいました。

私も親父の書斎にあった「孫子」を沢山読みました。
智者の虜は必ず利害に雑う
利に雑え而して務め信なるべきなり
害に雑え而して患い解くべきなり
うる覚えで間違って書いているかもしれませんが

先の古老の言葉と同じで、利害の両方を考え熟慮しなければいけないと思います。
そうした両方を論議出来る環境が相応しいと感じます。
それをアイヌ自らが発すると修練も増えアイヌの主張にも正当性が生まれて来ると感じるのですが・・・・・・・
本当のアイヌ系日本人とか自分には解りません。
ですが、純血が民族の定義の中で「必要か不必要か?」と考えると、第二次世界大戦後の反省を含めて多くの学者が、反省をし撤回をしていますね。

私が、桜の番組で、純血はいないと断言したのは、似非に対する誹謗と、純粋なアイヌが存在していると誤解している人達への言葉です。
私の家計も数代遡ればロシアに行きます。

アイヌは、諸集団に分かれていて、地方によって別々の文化を持ってた離合集散の部族です。
現代においても系譜を受け継いだ者たちが一つになることなく現代に至っています。
二項対立の構図を作り、「民族」という根拠が何も無いままに不鮮明な虚像に利権が成り立っているのは、至って不自然に思います。

「民族」という用語を使い特別の意味を持たせたい御用学者や政治屋とアイヌ屋の意図も今後私の言葉ですが、少しだけ違う場面で発して行きたいと思っています。





こんにちは。「Danas je lep dan.」の管理人です。ちゃんとした応答は後日エントリを立てますが,この米欄に的場氏がいらしているので,言わせていただきます。

私が的場氏を批判しているのは,
>普通に考えれば国連宣言にいうところの先住民族では決してない
という言説が誤っているからです。詳しくは私のブログで述べたので繰り返しませんが,アイヌは国連のいう「先住民族」の定義にも当て嵌まるし,「民族」と呼び得ます。多くの文化人類学者は,アイヌを「民族」としています(河野本道氏はきわめて例外的な存在です。彼の主張は現在の学問的潮流とはかけ離れています)。

あなたがたがアイヌの存在を否定していないのは知っています。しかし「アイヌ民族」を否定する態度を取っているのは紛れもない事実でしょう。それが,私にとっては批判の対象となっています。他者の民族的帰属を否定しようとしているわけですから。

また,的場氏は歴史的事実をねじ曲げています(たとえば,樺太アイヌの強制移住について。これも詳しくは私のブログに書きました)。的場氏が事実に基づいて論じているのならまだしも,史実をなかったことにしようとしているわけですから,当然批判の対象に成り得ます。

的場氏は,様々なブログや掲示板で書き込みをしておられます。でしたら,一度,是非私のブログにもおいでいただいて,反論を書いていただきたいものだと思います。私の主張がデタラメだと思うのであれば,尚更。

それから,
>私が、桜の番組で、純血はいないと断言したのは、似非に対する誹謗と、純粋なアイヌが存在していると誤解している人達への言葉です
このような意図から発せられた言葉だったのなら,私は砂澤氏への認識を誤っていたことになりますので,お詫びしたいと思います。

「Danas je lep dan.」の管理人様へ

御懇意な回答をいただきありがとうございます。
>河野本道氏はきわめて例外的な存在です。彼の主張は現在の学問的潮流とはかけ離れています。

シンポジウムが行われた当時の「学問的潮流」から彼がかけ離れた存在であったとは『シンポジウム』の内容を読む限り思えません。私は学問的潮流にはうんざりしています。「学問的潮流」といえば、私が北海道大学に在籍した当時、教養部・経済学部(中退)の学問的潮流はマルクス主義、進歩主義でした。こうした学問的潮流がいやで自然科学へ転身したのです。私は時々の学問的潮流や利害得失に押し流されずに一貫して自らの信念を主張する河野氏を立派だと思います。

>的場氏は歴史的事実をねじ曲げています(たとえば,樺太アイヌの強制移住について。

 樺太アイヌについてですが、国籍選択権は彼ら自身に与えられており、「樺太から北海道への移住は彼らの自由意思で、宗谷から対雁への移住は、お互いの合意のもとに行われた」のです。これは公式文章にも残っており、宗谷から対雁への移住を拒否した彼らの代表たちに現地を見せ、同意が得られなかったので石狩などの漁場を与えることではじめて合意が得られたのです。また、なんら政治的意図を持ち合わせず樺太を訪れたチェーホフの樺太アイヌに関する記載をみれば分かるはずです。「日本人とコンブ漁などをして、夏には絹のガウンを着るほど豊かであった」「彼らは米を求めてマツマイへ去った」等々、樺太アイヌが北海道へ渡り続けた経緯を書いています。ついでに「奴隷として売られたアイヌ女は犬以下の扱いだった」と残留アイヌの悲劇にも言及しています。私がアイヌ先住民族国会決議に疑問をもったのは、実に学生時代に読んだチェーホフのこの『サハリン島』の記憶があったからです。このブログの読者に誤解を与えるといけませんので反論しておきます。
 私の『アイヌ先住民族 その真実』には私の考え出したことは一つも書いていません。すべて権威ある公的資料そして北海道新聞が過去に出した出版物や古典作品、宗教書、哲学書、そして多くの実録や口述記録をまとめたものです。アイヌの研究者でもない私がちっぽけな私の脳の分泌物を皆様に振りかけるような失礼はいたしません。
 私は「Danas je lep dan.」の管理人さんの「現在の学問的潮流」にのった主張も認めます。しかし、学問の話をするのであれば、実名でお願いいたします。
 私が投稿するブログは相手の方のお名前、職業、経歴を存じ上げている方であることを原則とします。

的場光昭氏へ

まさかご本人から応答がいただけるとは思いませんでした。あなたの主張にはおかしな点がいくつも含まれていますので,それを指摘します。

>シンポジウムが行われた当時の「学問的潮流」から彼がかけ離れた存在であったとは『シンポジウム』の内容を読む限り思えません
これはおかしな主張です。私は「『現在の』学問的潮流」と言いました。どうしてそこで「『当時の』学問的潮流」を持ち出すのですか?

「民族」というものが学問的に見直され出したのは,1970年前後からの話です。そして元号が昭和から平成に変わる頃には,とうに「『民族』という言葉にハッキリした定義を出せない」ことは学問的常識となっています(たとえば,内堀基光「民族論メモランダム」田辺繁治編著『人類学的認識の冒険』同文館,1989)。ですので,1972年「当時」の河野氏の見解が,「『現在』の学問的潮流」とかけ離れていたとしても,まあ不思議ではありません。問題は,彼の「現在」の見解(2008年の『わしズム』などで示されたもの)が「現在」の学問上の認識とかけ離れていることにあるのです。

>私は学問的潮流にはうんざりしています
おかしな話です。学問的潮流と私が述べたのは,単に流行り廃りというレヴェルの話ではなく,「民族」に関する定説,或いは漠然とした共通理解(つまり,あなたや河野氏がしているような理解)が,この数十年で大きく覆った,ということを指しているからです。つまり,本当に「学問的」に主張したいのであれば,この「学問的潮流」を無視できないはずなのです。

もしあなたが上述のような学問的潮流を嫌っているのなら,最初から「学術的にアイヌを検証する」などと主張しないことです。何度でも言いますが,現在の学問的常識に依拠すれば,あなたの「民族」に関する説は間違いです。現在の定説に反対するのであれば,それ相応の根拠を出すべきですが,あなたはそういった作業を行っておりません(研究史の記述さえもしていない!)。

きちんとした,「定説に反対する根拠」を出さない限り,あなたの主張は,「学術的」ではありません。

>樺太アイヌ
既にそういった主張への反論は提示しました。面倒なので反論があればそちらへどうぞ。ここの米欄であなたと歴史談義をするつもりはありません。

http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20100409/1270826455

僕は,歴史を捻じ曲げるあなたの姿勢に対して,激しい怒りを感じています。

>すべて権威ある公的資料そして北海道新聞が過去に出した出版物や古典作品、宗教書、哲学書、そして多くの実録や口述記録をまとめたものです
あなたが「民族」「先住民族」などについて間違った理解をしていたので,それらを纏める際に問題が起きたのだろうと思います。「権威」を重んじるのであれば,まずは現在の学界が「民族」に対してどのような態度を取っているか勉強されてはいかがか。

>私が投稿するブログは相手の方のお名前、職業、経歴を存じ上げている方であることを原則とします
ほう? つまりあなたは,
http://8003.teacup.com/doshin/bbs/3936
http://d.hatena.ne.jp/saboten2008/20090520/p1
http://ameblo.jp/nyaonnyaon/entry-10459400490.html
のブログ主さんや管理人さんの氏名,職業,経歴をご存じなのですね。随分と交友関係がお広いようで,羨ましい限りです。

ところで,私の実名を知ってどうするのでしょうか? 私は研究者でもないし,検索すれば名前がヒットするような有名人でもありません。それよりも,私がこれまで書いてきたことを見ていただいた方が,私の主張や背景を知る上で役に立つと思いますよ。

再度・そして最後の「Danas je lep dan.」の管理人様への回答です。

的場光昭です。
 私の反論を要求されるのでしたら、氏名・経歴を明らかにしてください。しかしこれは望めそうもないのでこの場をおかりして、私と貴方との現実認識の決定的違いについて触れることで回答を終わりにします。

>>シンポジウムが行われた当時の「学問的潮流」から彼がかけ離れた存在であったとは『シンポジウム』の内容を読む限り思えません
>これはおかしな主張です。私は「『現在の』学問的潮流」と言いました。どうしてそこで「『当時の』学問的潮流」を持ち出すのですか?

 「現在の学問的潮流」について云々されていますが、私は基本的に現実に「当時」の潮流に生きた人々の悩みや考え、そして感性を尊重します。彼らは現実にその世界を生きたという事実だけでも尊敬に値するからです。貴方がおっしゃる「現在の学問的潮流」で過去を判断し、これをよしとするやりかたは、人間は時代とともに進歩する、現在の我々は過去の人間より多くの情報を手にしている、したがって当時の人間よりは多くの事実を知り正しい判断ができる、という過去の人々への傲慢な態度のように思えてなりません。
 現在の学問的潮流で、当時の学問的潮流を否定する、私にはそれこそ潮流に乗った実にお気楽な態度にしか見えません。何しろ否定は肯定よりもエネルギーを消費しませんから、つまり物を下へ落とすには支えを外すだけでよいのですから。
 逆に当時の人々が、何とかして北海道をロシアの侵略から守ろう、何とかしてアイヌを文明生活へ組み入れよう、何とかして蔓延する天然痘その他の伝染病を駆逐しよう、何とかして文字を教えよう、あるいは和人の記録しか残らないアイヌの起源を遺跡や出土する骨や方言を参考に探り当てよう、等等様々な試行錯誤を重ねてきたのです。こうした積み重ねに尊敬の念をもって生きることが私の信条です。
 貴方がおっしゃる「樺太アイヌの強制移住」に関していえば、明治八年(1875)当時、世界の〝先住民族〟は人間として認められなかったのですよ。そればかりか、たとえ人間と認められても当時はまだ支那人や黒人は奴隷貿易の商品でした。こういう時代に、日本国籍を希望する樺太アイヌを受け入れ、一人当たり当時の教員の年俸にも値する食糧費を支給し、その五倍にも相当する住宅建築費を与え、彼らが希望した厚田・石狩の漁場を買い与えたのです。確かに樺太アイヌの方々にとっては不本意な移住であることには違いないと思いますが、それでも貴方は、当時にあって日本国ができる限りのことをしたことを肯定的にとらえることはできないのでしょうか?
 また、河野本道氏他のシンポジストを現在の学問的潮流から批判的に見ておられますが、彼らはなんといっても実際にフィールドに出て地層を掘り、土器や陶磁器、漆器、鉄器を探し当て、これに触れている。またアイヌの古老から実際のアイヌ語方言を聞いている。この現場感覚に私は敬意を表するのです。
 私は愛別の稲作農家の三男です。今も私の肩には重いばかりでさっぱり実の入らない泥にまみれた稲わらの感覚が残っています。私の手には薄氷の融けはじめた朝の田植えの感覚が残っています。米はもちろんキュウリ一本だって現場の感覚がなければまともに作れないことをよく知っています。農家のお婆さんは「今年はカラスが低い木に巣をかけはじめているから大風になる」と三月に言っていました。現実に北海道は二度も大風に見舞われビニールハウスは大損害を被りました。理論・理屈・知識だけでは片付かないのが自然の中に生きる人間の営みです。
 貴方は私同様に研究者でないと公言されておられます。にもかかわらず、当時の学問的潮流を批判されています。私は『アイヌ語方言辞典』の責任編集者である服部四郎先生の御子息にお願いして先生のアイヌ語取材日誌の一部を見せていただきました。交通も宿泊施設も不十分な当時大変なご苦労をされて辞典をまとめられております。こうした地道な努力を継承してゆくことこそがアイヌ文化を守ることだと考えています。各地で開かれる補助金目当てのアイヌ語講座などはこうした努力を無にする、そして何よりも各々受け継がれてきた各地のアイヌ語方言を破壊しアイヌ文化を大きく毀損するものだと思います。
 シンポジウムの河野先生・吉崎先生・埴原先生・藤本先生・浅井先生もやはり同じように御苦労されてデータを集め考察を深めた結果のご発言です。何よりも諸先生方の手には土器や鉄器の感覚が、耳には古老の生の言葉が、そして肩には重い荷物の感覚が残っています。そのことを感じ取る感性をお持ちになれない方が、なぜアイヌが受けた苦難の歴史に共感することができるのでしょうか。いや、そうした感性に欠けるからこそ、先人の努力を「現在の学問的風潮」などという言葉で一蹴することができるのでしょう。
 研究者でもない私たちは、先人の御苦労に対してもっと謙虚になるべきだと思います。
 これが私の現実認識に対する基本的な態度です。
 以上で貴方への回答はすべて終了いたします。
 
 
 

それはこちらの台詞です

的場センセイ,あなたは私のコメントをちゃんと読みましたか? 読んだ上でその返答なのですか? ご冗談を。

>現在の学問的潮流で、当時の学問的潮流を否定する
はぁ? 誰も「当時の学問的潮流を否定」なんてしてないでしょう?

私はこう書きましたよね。
>1972年「当時」の河野氏の見解が,「『現在』の学問的潮流」とかけ離れていたとしても,まあ不思議ではありません。問題は,彼の「現在」の見解(2008年の『わしズム』などで示されたもの)が「現在」の学問上の認識とかけ離れていることにあるのです

ダーウィン以前に創造科学を唱えることは別に批判されるべきことではありません。けれど,ダーウィンの説が定説となった後に創造科学を唱えていたら批判されます。こんなのは当たり前の話ではないですか。

いいですか,「1972年当時」の河野氏の見解が「2008年現在」の学問的理解と異なることを問題視しているのではないのですよ。そんなもん,あげつらっても仕方ないことです。時代的制約というものがあるのですから。ですが,「2008年現在」の河野氏の見解が,「2008年現在」の学問的常識とかけ離れていたら,それは批判されるでしょう。で,定説に反対するにあたり十分な根拠を出したのか? と問うています。

それから,
>私は基本的に現実に「当時」の潮流に生きた人々の悩みや考え、そして感性を尊重します
と言いながら,
>明治八年(1875)当時、世界の〝先住民族〟は人間として認められなかったのですよ
と書いておられるのは矛盾ではないのですか? 当時,世界の先住民族が人間として認められなかったのが当たり前であったとするなら,何故あなたは,著書の中で「白人」による侵略を非難するのですか? 「当時」の価値観では,先住民族は奴隷化しようが何をしようが構わなかったわけでしょう? どうして「現在」の視点でそれを非難するのですか?

なお,付言しておくと,19世紀ともなれば世界の先住民族はみな人間として認められています。ただ,「人間の中でも劣っている」という視線が向けられていただけで。そもそも,中南米侵略当時のスペインにあってすら,彼らを「人間」と見なす見解が主流になりました(参考:http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20100414/1271255020)。もっと先住民族問題についてお勉強なさった方がいいと思いますよ。

>たとえ人間と認められても当時はまだ支那人や黒人は奴隷貿易の商品でした
はぁ? イギリスは1807年に奴隷貿易を全廃しています。英領で奴隷制が廃止されたのは1833年,スウェーデン領では1846年,仏領では1848年,蘭領では1863年です。アメリカでは,有名な南北戦争で奴隷制が廃止されました(その後も有形無形の差別は残存しますが,少なくとも法的には)。当たり前ですが,上記の事例はいずれも明治維新以前の話です。少しは世界史のお勉強をなさった方がよいのではありませんか?

>確かに樺太アイヌの方々にとっては不本意な移住であることには違いないと思いますが
なんだ,強制移住って認めてるじゃないですか。だったら議論は不要ですね。手厚い待遇? 無理矢理連れてきたのならそのくらいして当然です。そもそも,いいですか,「当時」にあってすら,樺太アイヌの対雁移住に反対した官吏はいたのですよ。アイヌのためにならない,と言って。開拓使はそれでも強行したのです。その辺の史実くらい押さえた上で「当時の認識」を語ってくださいよ頼むから。

>河野本道氏他のシンポジストを現在の学問的潮流から批判的に見ておられますが
またまたご曲解を。そもそも「他のシンポジスト」の見解について私は何も語っていませんが? それ以前に私は河野氏の「1972年当時」の見解については文句を言ってないんですけどね。ていうか,先人の説を批判的に見てはいけないなんて,学問という営みの否定ではないですか。私は研究者ではないですが,学問という世界に少しは親しんでおります。その世界の方法論から言わせてもらうと,あなたの主張は滅茶苦茶です。

学問的に論じる気がないのなら,最初から,学問を持ち出さなければいいんですよ。中途半端に学問を持ち出してその都合の良いところだけをつまみ食いするなんて,それこそ学問を担ってきた先人への冒涜だと思わないのですか? 先人だけでない,学問に関わる人間すべてへの侮辱です。

>理論・理屈・知識だけでは片付かないのが自然の中に生きる人間の営みです
だったら,「理論・理屈・知識」の領域である学問の世界に嘴を挟まないでくださいね。私は別にあなたの野菜の作り方や農家の苦労を「理論・理屈・知識だけ」で見たのではないのですよ。あなたの「民族」という理論的範疇に関する理解や,歴史学に関する理解を批判しているのです。苦労話ならどうぞお好きなだけお話しください。ただそれと同じ感覚で学問について論じられても困りますが。もう一度言います,学問を侮辱しているのはどちらですか。

>各地で開かれる補助金目当てのアイヌ語講座などはこうした努力を無にする、そして何よりも各々受け継がれてきた各地のアイヌ語方言を破壊しアイヌ文化を大きく毀損するものだと思います
だったらその講座で方言が教えられていれば問題はないわけですね? ていうか,「純粋な方言の伝達」に拘って講座を開かないままだったらそれを学ぶ機会すら与えられないと思うのですけれど……ああ,辞書を作ってそれで自習しろと仰りたいのですね,わかります。

>そうした感性に欠けるからこそ、先人の努力を「現在の学問的風潮」などという言葉で一蹴することができるのでしょう
はぁ? 誰が「先人の努力」を否定したんですか? 私が否定したのは「先人の説」であって「先人の努力」ではないんですけど。先行研究を批判的に見るというのは,研究者の努力を踏み躙ることではありません。彼らの研究成果の上に新たな説があるからです。こんなもの,きちんと学問をやっていれば学部で教わる哲学ではありませんか。

そもそも,「現在の学問的潮流」を簡単に否定するあなたこそ,現在の研究者たちの努力を安易に踏み躙っているという自覚はおありですか? 自分に都合の良いことを言う「過去の研究者」の努力は賞賛しても,自分にとって都合の悪い「現在の研究者」のそれは見ないフリをするなんて,仮にも論を述べる人間として恥ずかしくないんですか?

>研究者でもない私たちは、先人の御苦労に対してもっと謙虚になるべきだと思います
この言葉,そっくりそのままお返しします。謙虚になれ? それはこちらの台詞です。謙虚であらんとするならせめて学問の世界における「民族」に関する現在の認識とその研究史について学んでください。こんなものは基本のキです。それができないあなたは,何度も言いますが学問をバカにし過ぎです。研究者でないならもっと謙虚になれ,うん,じつに至言ですね。有言実行を期待していますよ。

補足

ああ,ちょっと誤解を招きかねない言い方だったので補足しておきます。

私は,「1972年当時」の河野氏の「民族」に関する認識は,当時の学問的常識からいってさほどおかしなものではなかったと思います。

私は,「2008年現在」の河野氏の「民族」に関する認識は,現在の学問的常識からいってとてもおかしなものだと思います。

私は,「1972年当時」の学問的常識は,「2008年現在」の学問的常識からみれば,問題を多く孕んだものであると評価します。この数十年間の実証研究の進展(これは無論多くの学者たちが汗を流して努力した結果です)によって,当時の認識は覆されるに至りました。

当たり前ですが,先人の説に異議を唱え,批判することは,先人の努力を否定し蔑ろにすることと同じではありません。

問題は,覆された説に確たる根拠も示さないまましがみつき続けることにあるのです。

これを
>人間は時代とともに進歩する、現在の我々は過去の人間より多くの情報を手にしている、したがって当時の人間よりは多くの事実を知り正しい判断ができる、という過去の人々への傲慢な態度
と片付けてしまうのは,はっきり言って学問への無理解に他ならず,こんなことを述べる人間が「学問」について何か言ったところで信用されないと思います。

お二人のご意見拝見して思うこと

歴史おたく
 専門家ではありませんがお二人のご意見に思うこと二三述べさせてください。
 基本的にお二人の意見はどこまでいってもかみ合わないのでもうこのへんでおやめになった方がよいと思います。どうやら「Danas je lep dan.」の管理人さんは文面から察すると社会科学系の専門家ないしは研究者のようですね。的場さんは身分を明かしているように町のお医者さん、この問題に関してはまったくの素人だったようです。専門家が素人相手に腹を立てている姿はちょっと大人気ないようにも思いますが、素人や一般人民の素直な感覚に案外と真実があるというのも事実ではないでしょうか。子供や素人は専門家とちがって知識や理解力に劣りますが、本質を掴む直感はなまじっかの知識がないだけ優れている場合もあるようです。的場さんの直感がどうかは私にはわかりませんが。
 ところで奴隷について「Danas je lep dan.」の管理人さんは歴史的文献を次々と挙げて的場さんを論破したつもりのようですが、明治5年(1872)のマリア・ルス号事件をご存知ですか?当時中国大陸からアメリカ大陸への奴隷貿易の中継地として日本の横浜がなっていたという事実、そして当時の日本政府がこれを救出したという事実は厳然としてあるのです。また高橋是清は1867年米国で奴隷に売り飛ばされて苦労の末帰国しました。素人の的場さんがこうした事実を知っているかどうかは別として、的場さんの認識は結果として正しいということになります。またダーウインの進化論を語るのであれば、生物学的な、動物界脊椎動物門哺乳綱霊長目ヒト属ヒト科の種としてのヒトと的場さんがいう人間との違いをはっきりさせたほうがよいと思います。ヒトは時にヒトを奴隷にしたりあるいは狩猟対象にしたり、食糧にしたりします。これは人間が人間を人間扱いしたことにはならないと思います。的場さんが言っているのはこういう意味での人間ではないでしょうか?
またご自身のブログで自分と意見の異なる人々を呼び捨てにしたり、このブログで「的場センセイ」などと揶揄したり品位に欠ける面があります。今後改められることをお勧めします。そのほうが、先生の専門的学問的意見がより多くの方々に受け入れられると思います。
 私にとっては先生のご意見も、的場さんの直感も非常に参考になりました。
 

他人様のブログに
「はぁ?」や、「そんなもん」  
というような言葉をコメントに残すのはいかがなものかと…

その論議は歴史おたくさんが言う通りかみ合う事はないでしょう。
ただ、勉強にはなりますので、どうか違う所でそういう場を作ってはいかがでしょうか?

歴史おたくさんへのお返事

 私の意見を「Danas je lep dan.」の管理人さんの意見に対して素人の直感と片づけられたのにはさすがに驚きを禁じえません。
 たとえば彼(彼女?)は「明治八年(1875)当時、世界の〝先住民族〟は人間として認められなかったのですよと書いておられるのは矛盾ではないのですか? 当時,世界の先住民族が人間として認められなかったのが当たり前であったとするなら,何故あなたは,著書の中で『白人』による侵略を非難するのですか? 『当時』の価値観では,先住民族は奴隷化しようが何をしようが構わなかったわけでしょう? どうして『現在』の視点でそれを非難するのですか?」と疑問を投げかけています。「Danas je lep dan.」の管理人さんが私を白人と思っておられるならば理解できる質問ですが、私はれっきとした黄色人種の日本人です。彼(彼女?)の学問は白人の視座に立った学問ということになります。少しまともにものを考えることができる皆さんにはお分かりいただけると思いますが、「Danas je lep dan.」の管理人さんはどうやら白人もしくは自らを名誉白人と考えておられる方だということです。黄色人種である私やアイヌ系日本人をこうした視線で学問のネタにして見下し息巻いているということに、歴史おたくさんも気づいて欲しいものです。それが歴史を学ぶ、温故知新、古を尊ぶという孔子の生き方です。文字の学問だけではだめです。お父さんやお母さん、そしてお爺さんやお婆さんの生き方をしっかり学ぶこと、信じることが大切です。
 それからしつこいようですが、『アイヌ先住民族 その真実』に書いた内容は歴史的事実に基づいたものです。マリア・ルス号事件や高橋是清が奴隷として売り飛ばされたことは当然承知しており、また具体的には記述しませんでしたが拙著の内容の根拠になっております。この点についてのご指摘に関しましては深謝申し上げます。

歴史おたくさん>
>基本的にお二人の意見はどこまでいってもかみ合わないのでもうこのへんでおやめになった方がよいと思います
そうですね。私も噛み合うとは思っていません。ただ,彼の主張がいかに誤りに満ちたものであるかを指摘したかったのです。まあ,的場氏はもう書き込まないつもりのようですが。

>文面から察すると社会科学系の専門家ないしは研究者のようですね
いいえ。私は一介の歴史学を学ぶ学生に過ぎません。

>専門家が素人相手に腹を立てている姿はちょっと大人気ないようにも思いますが、素人や一般人民の素直な感覚に案外と真実があるというのも事実ではないでしょうか
別に,素人(おそらく研究者からみれば私も素人のひとりだと思いますけど)が「これは素人としての素直な感覚の表明なんだけど……」とtwitterででも呟いているのなら,ここまでは言いません。しかし的場氏は,本を出版し,その中でこれまで偏向した学者達によって歪められてきた「真実」を明らかにすると息巻いて,あまつさえ他人の名乗りを否定しています。ここまでしておいて,「専門家が素人相手に腹を立てている姿はちょっと大人気ない」などとは,あまりにも的場氏を贔屓しすぎではないですか。ここまでやって怒らないと思える方が不思議ですね。

>本質を掴む直感
そもそも的場氏は著書の中で,これまでのアイヌに関する認識の誤りを「論証」すると言っているのですけどね。彼が「直感」で本を書いたというあなたの方がよほど彼に失礼なのではないですか?

>マリア・ルス号事件
それは「制度」としての奴隷ではありませんよね? あれはあくまで過酷な待遇を受けていたクーリーが「奴隷」と見なされた,という話です。制度としての奴隷はマリア・ルス号事件の頃にはありません。

>ヒトは時にヒトを奴隷にしたりあるいは狩猟対象にしたり、食糧にしたりします。これは人間が人間を人間扱いしたことにはならないと思います
そんな勝手な定義を持ち出されてもなぁ……そもそも奴隷の形態だって古代ギリシアとオスマン帝国と南北アメリカでは異なるわけで。奴隷にする=非「人間」と見なす,ということでは決してありません。奴隷とは自己決定権を法的に持たないものの謂ですが,たとえば『コーラン』には奴隷に対し温情を持って接すべしとの規定が設けられ,奴隷の解放は善行であり天国で報いがある,とされています。古代ギリシアでは奴隷が家庭教師になる,という例もありましたよ。また,人肉食についてもその意味合いは様々です。一概に「人間扱いしていない」と決めつけることはできません。そもそも,私はスペインの学者がインディオを人間として扱っていたという話を提示したのですが,それも読んでいないのでしょうか? 前近代においては,対等な人間として遇すること以外に,人間を「人間」として遇するやり方が幾つもありました。それを踏まえる必要があります。

>品位に欠ける面があります。今後改められることをお勧めします
そうですね。ご忠告感謝します。取り敢えず私のことを「唯物史観の失敗からまだ目が覚めない気の毒な連中」(http://koushinminzoku.blog117.fc2.com/blog-entry-108.html#comment234)と呼び,著書の中で上村英明氏や有識者会議に対して失礼な言動を繰り返す的場氏にも同じことを言ってあげてください。

実る稲田は頭垂る

 人間は、なかなか稲穂にはなれません。


 「昼間っから勉強ばかりしていると馬鹿になるぞ。」と寅さんが言ってたこと、思いだしました。
 
 
 

色々とコメントはありがたいです。が!!!

色々な方々からのコメントはありがたく思います。
しかし、なんて言うのでしょう…?

腹立って仕方ないんですというのが正直な気持ちです。
歴史云々に少し火をつけてしまったのは管理人の記事ですが、


ここのブログの本筋とはかけ離れてきてるし…(ってこれ以上言葉も出てきません)

気づいてほしくて「つぶやいて」みてみましたがいっこうに収まる気配はないですよね。
いや、ご覧になってないのかもしれませんね。

コメントは公開し続けておりますが…


(管理人さんへ。いい加減我慢できずにコメントしてごめんなさい)

管理人さん>
話題が徐々にズレていってしまったことについては,お詫びしたく思います。

twitterで書かれていた,
>別問題ですよね。ひとからげにするのがそもそも間違えてる気がする
http://twitter.com/_woodsmith_/status/12453508495
という発言には同感です。そこは切り離して考えるべきです。ブログにも書きましたが,私は,砂澤氏が行っている不正追及を邪魔する考えはありません。むしろ,そのような不正があるのなら,積極的に暴いていただきたいと思っています。ただ,彼の「民族」に関する主張の内幾つかに看過できない点がある,というだけです。

重ね重ね,ここのコメント欄を的場氏との応酬に使ってしまったことについてはお詫びします。

HISってアレな話によく名前が出てきますね!
ライブドア事件のときの沖縄での野口さん「自殺」とか…

後生畏るべし

的場光昭です。
「Danas je lep dan.」の管理人様が私の認識ではとうに四十歳(不惑)を過ぎた方だと思っておりました。お若い学生さんだということですので、別の対応もありましたのにと反省しています。若くしてこれだけの議論をされる知識や能力をお持ちになり真剣に研鑽をつんでおられることを知り、当時の自分自身を振り返ると私自身非常に恥じ入る思いです。私は「後生畏るべし」という孔子の言葉を信じ、若い方には特に敬意をもって接することにしています。益々ご研鑽を積み重ねられて大成されることを祈念申し上げます。
 砂澤様、管理人2様、そして大人気ない議論を忍んでいただいた多くの読者様にこの場をお借りしてお詫びいたします。

Re: タイトルなし

resakさん
気がつきませんでした。有難うございます。
HISは天下りでも有名なんですよ!

はじめまして

はじめまして、エミリーと申しますm(__)m
YouTubeでチャンネル桜のアイヌ問題の番組を見ました。
北海道アイヌ協会がこんなに腐敗しているとは思いもしませんでした。

アイヌの人たち全てそうだというわけではなくて、中には真面目にアイヌの文化を残そうとしている人もいるのかもしれませんが、協会の幹部たちがこんなんじゃ真面目にやっているアイヌの人が可哀想だと思いました。
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対談
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他動画はこちらでご覧いただけます。
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さくらじ#28 北海道と沖縄のタブー、砂澤陣・宮城能彦 登場! 1/2【利権創造】報道スペシャル-アイヌ問題の真実[桜H24/2/4]

2/2【利権創造】報道スペシャル-アイヌ問題の真実[桜H24/2/4]

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砂澤陣

Author:砂澤陣
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現代アイヌの差別撤廃運動とその中身。アイヌを謳うアイヌの実態と行末。 原理原則を欠いた逆差別の実態。本質的意識改革の時代ではないのか?「アイヌを喰いものにするアイヌ達?」に強く問いたい。
アイヌ生活支援政策「修学資金」「住宅購入資金」「住宅改修資金」「職業訓練」を私欲の為に利用し似非アイヌを作り上げ、税金を横領する利権アイヌ屋を許してはならない。その他色々な情報を発信していきます。
Jin Sunazawa

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