26歳アイヌさんへ 「私が言いたい事」

札幌大学の「ウレシパ資金」について詳細を書こうと思ったのですが・・・

今回は「26歳アイヌ」さんのコメントについて書かせていただきます。


「いつも見てます

この動画のなかで、小野寺氏は今アイヌに対するいじめ、差別はないと言い放ちました。
自分は小学、中学とアイヌであるということでいじめられていました。高校時代もガソリンスタンドでアルバイト中に、お客さまから嫌な言葉を言われたこともあります。以前結婚していたのですが、相手の親族にアイヌの血が入ってる子供は抱っこしたくないと言われました。
アイヌが間違ってることをして、こうやって叩かれるのは仕方ないと思うけど、
今の時代小学生もインターネットを活用します。そんな今の小学生がこのブログを見て新たな差別いじめが起きないか心配です。間違ったことをしてるのは、正すべきだと思います。真面目にアイヌのことを学んでるアイヌもいて、こういったブログ内で言われてるアイヌがすべてではないと思います。この後進民族 アイヌを見ていると、自分の子ども(4歳)がこれから自分がしたような嫌な思いをしないか本当に心配になります。」



26歳アイヌさん。コメント有難うございます。
さぞかし、少しの勇気が必要だったかと思います。
いつも通り私のストレートな表現で書きますので御勘弁下さい・・・・

動画の中で道議は「差別はなかったと言い放った」と書かれていますが、道議の言葉に嘘はないと思いますよ。

そうでなければ「何の票にもならないアイヌ問題にメスを入れ孤軍奮闘しませんよ」ましてや、この問題の多くは彼が所属している「自民党の過去の瘡蓋を剥がす事でもあるんです。」それが、どれ程までに闘う勇気が必要であるかを「少しだけ想像して欲しい」。
不正と虚偽で塗り固められた「現代アイヌ」の実態こそ新たな差別をアイヌや行政が再生産している現実を本当に危惧しているからこそ北海道議会議員として「いけないものはいけない!」と取り組んでくれているのです。そこには「アイヌだから、そうじゃないから」という甘えはないと私は思っています。

利権派アイヌのサポーターは道議に「レイシストだ!ネトウヨだ!」と頭の悪い典型的な「揶揄」を飛ばしますが・・・決してそうではありませんよ。本当に必要なのは美辞麗句に鍍金された似非文化でもなく政策でもないでしょう・・・道議は道議としての職務を有権者の代表として全うしているだけです。誰もが面倒臭がって放置してきたこの問題にあえて正面から逃げも隠れもせず取り組んでくれている彼を私は尊敬しています。アイヌ文化を守りましょうと不正を見てみぬ振りをしている政治家が多い中で、本当に勇気のある人間だと私は断言します。

そうした彼の学生時代に「もし彼の傍でアイヌ差別があったら彼が黙っていたとは到底思えない」

もし、そこに嘘があるのなら私の様な「チンピラ上がり」とメディアに出たりはしないですよ。彼が本当に心配しているのは、本当に政策が必要な人に政策が活用されず、郷土や国の国益を損なう現実を心配し危惧しているのですよ。

差別はね、私も受けた事があるし親が有名だった分ある意味で強烈でしたね。どっちの差別が、とかいう差別自慢をするつもりは一切ありませんが、私も結婚しようと思った時に同じ様な思いをして切ない体験をしたことや、小中学校ではリンチを受けた事もあります。書き上げれば切が無いでしょうね・・・笑。

幼稚園の頃には「アイヌ」の意味さえ知らない自分が何故にその言葉で虐められるのか理解も出来なかったし理解できようもあるはずもなく辛かったのは忘れませんよ。親父に泣きながら相談しても、大きな背中を向けて「かまうな!喧嘩するなら勝つまでやれ!」いつもこの言葉しかなく、その言葉に大きな不満を持った時期があったのも嘘じゃありません。親父もアイヌという立場で何かしらの差別があったという話は直接聞いたことはありませんが親父の知己から色々と聞かされ驚いた事も沢山ある。

親父もアイヌの運動に少しだけ関わった時代もあるし、うちの爺さん婆さんも戦った。

でも、それはね「個の自立」の必要性を訴えた戦いなんだよね。

だからうちの爺さん婆さんは、身銭を切りながら昭和初期に生まれたばかりの親父を抱いて国に陳情にも上京し特攻警察の監視の下でアイヌ嫌いの金田一の協力を受けながら地道な活動をした話は聞かされた。阿寒湖にも店を出した経緯も今じゃ秋辺のデポだかいうアイヌ切り売りしてるアイヌ屋が阿寒にうちの爺さんが最初に店を出したとかNHKとかで嘘を流布してるが、それは全くのデタラメなんだけど。
それは違う時に書きますね。

(ここで今、簡単に書くと「マリモ祭りはアイヌの儀式みたい大嘘をついてるのと同じ」前田一歩財団が、何から阿寒湖を守ろうとしたか・・・前田正名さんは「アイヌ」の資質を見抜いていたんですよ。現にアイヌは自分達の都合の悪い人達を絶対に語ろうとはしない)

話がそれたので戻しますが、正直なところ差別はなくならないでしょう。
それは「アイヌ」というキーワード以外でもね。

ただ!ほら!北海道アイヌ協会の札幌支部長筆頭に「差別の再生産をアイヌが演出してる限りアイヌ差別は根強くなるでしょうね」そこに「税金詐取」という犯罪と「自浄力」の欠落が輪を掛け、留めは札幌大学の本田優子氏上村英明氏の様なアイヌオタクレベルの自称アイヌ研究者と「歴史の捏造・似非アイヌ文化確立」が止めを刺していますよね。

アイヌアートプロジェクトは「無職アイヌ屋詐欺集団」解散したアイヌレブルスも「彼女にアイヌキモイと言われた~」とか歌詞にしたり、オキアイヌダブバンドや宇梶氏など税金詐取や差別演出の主犯格。他にも書き上げたら切がないけどね・・・笑

こうしたアイヌ絡みの自称アーティストや現代アイヌの活動や謳い文句を聞いてご覧よ。「差別された…アイヌは自然と共に全てを神と崇め…綺麗な目をした…」正直、私はこうした言葉に本当に吐き気を覚えるほど嫌いである。自分達の税金詐取の現実さえも「差別」だと言い切り、終いには「数字」の現実にさえもアイヌは悪くないと平気な顔で言い放つアイヌは差別されても「ある意味で仕方あるまい」。

差別を口にしないまでも関わらない無視をされて当然であろう。でもね!アイヌが長年必要としてきたのはこうした「差別や無視」なんだよね。だって!それがお金になるし「アイヌコンプレックス」を税金で商売できるんだもの楽だよね。何よりも暴走族の戦闘服よりも程度の悪い「着物」を着て適当な事を言ってれば同じ様な連中が寄って来てなめ合う快楽に酔いしれて、急に自分が特別な人になったような錯覚に陥って「アイヌに目覚めた!」とか言い出してる醜さ。

アイヌ伝統の文化を継承してとか言っても裏を返せば「盗作と人まね」のオンパレード
うちの親父の作品を盗作してるアイヌをよく見かけるが、あれね!本当に恥ずかしい事なんだよね

熊やニポポなんかじゃ駄目になる!というプリミティブからの逸脱から生まれた物を作家気取りで盗作してる連中がゴロゴロしてるでしょ。文化の底辺も嘘で上塗りするアイヌに何の誇りがあるのでしょうね?

先にも書いたが「差別はなくならない」

なくなるということは「ある意味で無機質な人間を育てる」という意味にも私には思える。差別は「感情」でもあり「思想」の一面でもあると…差別を無くすという上から目線でありながらの甘えは何の解決も生み出さないばかりか、逆に差別を生み出すでしょう。

それよりも、人の本質的事柄を考えながら「いかにして差別を克服するか」という視点の方が大事であり現実的だと私は思います。
虐め問題も同じでしょう・・・・
差別や虐めとどう向き合い、どう対処し克服し消化してきたのか?今のアイヌにそれが語れるだろうか?差別の見世物的演出と税金詐取のための歴史捏造は出来ても、それは絶対に出来ない。

自浄力のなさがそれを絶対的領域でそれを物語っている。

26歳の貴方が不安に思う気持ちは理解できますが、それを克服できる術や子供に何かを伝えられるのもあなた自身でしかない。ただ!想像して欲しい!今のアイヌの現実は絶対に逃避もできなければ人様のアイヌに対する感情にまで私たちは立ち入れない。

「先ずは、それを知り覚悟することだと」

難しい事のようで深く考えるよりも「自分がどう生きるか?どういう仕事に自負を持って取り組むか」それだけだと思う。子供は必ずそうした姿を敏感に見て考える。

そして覚えておいたほうがよい「必ず貴方の子も嫌な体験をするだろう」

その時のために貴方が備える事こそが「勇気を持つ事であり誇りを持つ事だと私は信じています。」(そうしたことがないに越した事はないんですがね)

私だって勇気のない事は沢山ある。
よくアイヌ不正を暴く事は弱い者虐めだと言われる。だが、何を持って弱者だ強者だと言うのだろうね?
私もこの事を始めてから色々な攻撃を受けているし仕事にも影響が出ているが、それでも言わなければ言い続けなければと自分に言い聞かせながら取り組んでいる。
さもかし税金詐取のアイヌが弱者で私が強者の様に言われる事が多いが、それは間違いであろう。
犯罪者が犯罪者として処分を受けないアイヌは特権階級者であり特権階級者を弱者とは言うまい。

それと血の定義の問題・自分の思考としての帰属意識でいうと、私は「アイヌの誇りなどという言葉の微塵も持ち合わせていない」。私は郷土が好きでこの国「日本」が好きであり、そこに自分の出自がある以上守りたいと考える。

それを右翼だとのたまう本当の馬鹿を相手にしようとも思わない。アイヌの着物を着てアイヌの何かをしてればアイヌだなんて本当に気持ちが悪い。

アイヌがもし本当に誇りを持って何かを行っているのだとしたらアイヌの不正に塗り固められた嘘に怒りを持つだろうね。それを持ち合わせていないアイヌは所詮「作り物」でしかないんだよね。
今回の札大の本田氏が行ったウレシパも今後、大きな波紋を呼ぶだろう。本田氏の確信的詐欺行為に便乗したアイヌは勿論「馬鹿にされ罵られるだろう」
そうした要因を自らが作り上げているアイヌは本当に必要なのだろうか?
苦学生からすると差別だし、少ない給料の中から学費を出してる一般の親からしても同じ思いをアイヌに持つだろうな。
それは普通で大多数。
「その普通で大多数の評価が全体に広がる怖さを考えないアイヌ税金詐取は本当に不要」

一連のアイヌの税金詐取も誰も責任を取らない
逆に差別だと騒ぐアイヌ「社会一般通念」からすると「アイヌは完全に異様な集団」であることは間違いない。不正のツケを後進に残す事(税金詐取の手口)は絶対に不要である。ツケを払う気などアイヌには一つもないし「アイヌの資質」は変わるまい。それが、どれ程までに同じ血の定義を持つ者にダメージを与えるか想像に容易い。
アイヌの昔からの税金詐取の体質を何処かで打ち切ったところでアイヌへの評価は簡単に変わるものではない。
その中であっても「うちの親は違った」という道標を貴方が残す事こそ一番必要なのではないだろうか?

拭えない血の定義は自らが努力して払拭し差別の言葉を吐く者のせいにしては絶対にあってはならない。それは同情し合うことではないから切ない事もあると思うが貴方の子供と貴方を育ててくれた親のためにも持っている不安を自身のためにも変えるようにして欲しい。

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テーマ : アイヌ
ジャンル : 政治・経済

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10.23道新の歴史捏造記事

 あまりにも目に余る記事の連続、直接関係はないのですが道新はここまでやるということを広くお知らせしたくて投稿します。
半島・支那も赤面して裸足で逃げ出す歴史捏造
 北海道新聞10月23日朝刊一面五段ぶち抜き、同じく二面も五段ぶち抜き、〝北海道東北考、第6部①―3・11を越えて〟に歴史捏造記事が、東北臨時支局勝木晃之、渡辺玲男の署名入りで出ています。
 道新が厚真町から出土した常滑焼壷に注目してくれたことは、非常にあり難かったのですが、北海道の歴史的経緯を全く無視した解釈によって、歴史を捏造する態度には憤りを通り越して笑うしかないというのが正直な感想です。
常滑焼壷については拙著『アイヌ先住民族、その不都合な真実20』にも触れましたが、常滑焼壷は約八六〇年前に製作されており、藤原氏の仏教布教による国内統治を目的として奥州各地に造営された経塚に用いられる壷と同種であり、この頃すでに厚真町は奥州藤原領であったこと、少なくともその影響下にあったことが示唆されます。そして北海道に仏教が伝来したのは遅くとも一一五〇年ころということになります。これはアイヌ民族成立の一〇〇年以上前のことです。つまりアイヌが北海道の先住民族などではないという物的証拠ととらえるのが普通です。
ところが道新の記事は、「形状や出土場所から、仏教の経典を入れ土に埋める『経塚』に使われた可能性があるという。東北史に詳しい弘前大の斉藤利男教授(62)は『本州から渡った仏教を信仰する和人が集団で厚真に居住し、アイヌ民族と交易していたのでは』と推測する。」と、この時期まだ擦文文化の時代で、アイヌ民族などは出現していないにもかかわらず誤った口述をそのまま載せています。
さらにひどいのは、だれが何処から引っ張ってきたのか出典を明らかにせずに、「津軽海峡を越えた北海道・東北の歴史」という図を載せています。それによると、縄文時代(互いに縄文人が往来し、共通の文化圏を形成)→4~7世紀ごろ(アイヌ民族が北東北などに南下)→12世紀ごろ(奥州藤原氏がアイヌ民族と交易し道内にも拠点?)→~江戸時代(安東氏や蠣崎氏(松前氏)が蝦夷地に)→~明治時代(北前船が本州と北海道とを結ぶ航路で隆盛。東北から多数の開拓民が来道)となっています。
一面に記事を寄せている、瀬川拓郎旭川市博物科学館主幹のかねてよりの主張であるアイヌと縄文人の連続性を真に受けて、北海道の時代区分としてすでに確立している〝続縄文時代〟および〝擦文文化期〟の人々や〝オホーツク文化人〟の存在を消し去った誤った図を堂々と載せています。
これこそまさしく拙著『自殺するのがアホらしく本』や先掲書で指摘したイデオロギーの自己膨張的拡大の典型例でしょう。既成の理論(日本国および日本国天皇は国外には侵略を、国内には民族弾圧をする)を正しいものとしてこれと整合性をもつ「正しいもの」の連続性によって仮説の傍証を行うものです。ですからこの仮説に整合しない続縄文時代や擦文文化期などは抹殺して、整合する「正しいもの」、つまり縄文人→アイヌ民族という時代設定をするのでしょう。
それどころか、アイヌが北海道の先住民族などではない物証である常滑焼壷が出てきてしまったために、アイヌ民族の出現を従来の13世紀(鎌倉時代)以降という定説まで抹殺して、それ以前の和人とアイヌの交易をでっち上げる暴挙までしてしまうのです。
竹島・尖閣問題での半島や支那の主張にはあきれ果てますが、この道新の記事はその半島・支那も赤面して裸足で逃げ出すような恥知らずな記事というしかありません。
北海道新聞は直ちに編集者会議を招集して、アイヌ問題に関する記事の歴史的検証を行い、正すべきはしっかりと訂正すべきです。

10/23道新朝刊の歴史捏造

直接関係ないのですが、目に余る記事の連続、広く知っていただきたく投稿しました。
半島・支那も赤面して裸足で逃げ出す歴史捏造
 北海道新聞10月23日朝刊一面五段ぶち抜き、同じく二面も五段ぶち抜き、〝北海道東北考、第6部①―3・11を越えて〟に歴史捏造記事が、東北臨時支局勝木晃之、渡辺玲男の署名入りで出ています。
 道新が厚真町から出土した常滑焼壷に注目してくれたことは、非常にあり難かったのですが、北海道の歴史的経緯を全く無視した解釈によって、歴史を捏造する態度には憤りを通り越して笑うしかないというのが正直な感想です。
常滑焼壷については拙著『アイヌ先住民族、その不都合な真実20』にも触れましたが、常滑焼壷は約八六〇年前に製作されており、藤原氏の仏教布教による国内統治を目的として奥州各地に造営された経塚に用いられる壷と同種であり、この頃すでに厚真町は奥州藤原領であったこと、少なくともその影響下にあったことが示唆されます。そして北海道に仏教が伝来したのは遅くとも一一五〇年ころということになります。これはアイヌ民族成立の一〇〇年以上前のことです。つまりアイヌが北海道の先住民族などではないという物的証拠ととらえるのが普通です。
ところが道新の記事は、「形状や出土場所から、仏教の経典を入れ土に埋める『経塚』に使われた可能性があるという。東北史に詳しい弘前大の斉藤利男教授(62)は『本州から渡った仏教を信仰する和人が集団で厚真に居住し、アイヌ民族と交易していたのでは』と推測する。」と、この時期まだ擦文文化の時代で、アイヌ民族などは出現していないにもかかわらず誤った口述をそのまま載せています。
さらにひどいのは、だれが何処から引っ張ってきたのか出典を明らかにせずに、「津軽海峡を越えた北海道・東北の歴史」という図を載せています。それによると、縄文時代(互いに縄文人が往来し、共通の文化圏を形成)→4~7世紀ごろ(アイヌ民族が北東北などに南下)→12世紀ごろ(奥州藤原氏がアイヌ民族と交易し道内にも拠点?)→~江戸時代(安東氏や蠣崎氏(松前氏)が蝦夷地に)→~明治時代(北前船が本州と北海道とを結ぶ航路で隆盛。東北から多数の開拓民が来道)となっています。
一面に記事を寄せている、瀬川拓郎旭川市博物科学館主幹のかねてよりの主張であるアイヌと縄文人の連続性を真に受けて、北海道の時代区分としてすでに確立している〝続縄文時代〟および〝擦文文化期〟の人々や〝オホーツク文化人〟の存在を消し去った誤った図を堂々と載せています。
これこそまさしく拙著『自殺するのがアホらしく本』や先掲書で指摘したイデオロギーの自己膨張的拡大の典型例でしょう。既成の理論(日本国および日本国天皇は国外には侵略を、国内には民族弾圧をする)を正しいものとしてこれと整合性をもつ「正しいもの」の連続性によって仮説の傍証を行うものです。ですからこの仮説に整合しない続縄文時代や擦文文化期などは抹殺して、整合する「正しいもの」、つまり縄文人→アイヌ民族という時代設定をするのでしょう。
それどころか、アイヌが北海道の先住民族などではない物証である常滑焼壷が出てきてしまったために、アイヌ民族の出現を従来の13世紀(鎌倉時代)以降という定説まで抹殺して、それ以前の和人とアイヌの交易をでっち上げる暴挙までしてしまうのです。
竹島・尖閣問題での半島や支那の主張にはあきれ果てますが、この道新の記事はその半島・支那も赤面して裸足で逃げ出すような恥知らずな記事というしかありません。
北海道新聞は直ちに編集者会議を招集して、アイヌ問題に関する記事の歴史的検証を行い、正すべきはしっかりと訂正すべきです。

目に余る記事

半島・支那も赤面して裸足で逃げ出す歴史捏造
 北海道新聞10月23日朝刊一面五段ぶち抜き、同じく二面も五段ぶち抜き、〝北海道東北考、第6部①―3・11を越えて〟に歴史捏造記事が、東北臨時支局勝木晃之、渡辺玲男の署名入りで出ています。
 道新が厚真町から出土した常滑焼壷に注目してくれたことは、非常にあり難かったのですが、北海道の歴史的経緯を全く無視した解釈によって、歴史を捏造する態度には憤りを通り越して笑うしかないというのが正直な感想です。
常滑焼壷については拙著『アイヌ先住民族、その不都合な真実20』にも触れましたが、常滑焼壷は約八六〇年前に製作されており、藤原氏の仏教布教による国内統治を目的として奥州各地に造営された経塚に用いられる壷と同種であり、この頃すでに厚真町は奥州藤原領であったこと、少なくともその影響下にあったことが示唆されます。そして北海道に仏教が伝来したのは遅くとも一一五〇年ころということになります。これはアイヌ民族成立の一〇〇年以上前のことです。つまりアイヌが北海道の先住民族などではないという物的証拠ととらえるのが普通です。
ところが道新の記事は、「形状や出土場所から、仏教の経典を入れ土に埋める『経塚』に使われた可能性があるという。東北史に詳しい弘前大の斉藤利男教授(62)は『本州から渡った仏教を信仰する和人が集団で厚真に居住し、アイヌ民族と交易していたのでは』と推測する。」と、この時期まだ擦文文化の時代で、アイヌ民族などは出現していないにもかかわらず誤った口述をそのまま載せています。
さらにひどいのは、だれが何処から引っ張ってきたのか出典を明らかにせずに、「津軽海峡を越えた北海道・東北の歴史」という図を載せています。それによると、縄文時代(互いに縄文人が往来し、共通の文化圏を形成)→4~7世紀ごろ(アイヌ民族が北東北などに南下)→12世紀ごろ(奥州藤原氏がアイヌ民族と交易し道内にも拠点?)→~江戸時代(安東氏や蠣崎氏(松前氏)が蝦夷地に)→~明治時代(北前船が本州と北海道とを結ぶ航路で隆盛。東北から多数の開拓民が来道)となっています。
一面に記事を寄せている、瀬川拓郎旭川市博物科学館主幹のかねてよりの主張であるアイヌと縄文人の連続性を真に受けて、北海道の時代区分としてすでに確立している〝続縄文時代〟および〝擦文文化期〟の人々や〝オホーツク文化人〟の存在を消し去った誤った図を堂々と載せています。
これこそまさしく拙著『自殺するのがアホらしく本』や先掲書で指摘したイデオロギーの自己膨張的拡大の典型例でしょう。既成の理論(日本国および日本国天皇は国外には侵略を、国内には民族弾圧をする)を正しいものとしてこれと整合性をもつ「正しいもの」の連続性によって仮説の傍証を行うものです。ですからこの仮説に整合しない続縄文時代や擦文文化期などは抹殺して、整合する「正しいもの」、つまり縄文人→アイヌ民族という時代設定をするのでしょう。
それどころか、アイヌが北海道の先住民族などではない物証である常滑焼壷が出てきてしまったために、アイヌ民族の出現を従来の13世紀(鎌倉時代)以降という定説まで抹殺して、それ以前の和人とアイヌの交易をでっち上げる暴挙までしてしまうのです。
竹島・尖閣問題での半島や支那の主張にはあきれ果てますが、この道新の記事はその半島・支那も赤面して裸足で逃げ出すような恥知らずな記事というしかありません。
北海道新聞は直ちに編集者会議を招集して、アイヌ問題に関する記事の歴史的検証を行い、正すべきはしっかりと訂正すべきです。

目に余る歴史捏造

半島・支那も赤面して裸足で逃げ出す歴史捏造
 北海道新聞10月23日朝刊一面五段ぶち抜き、同じく二面も五段ぶち抜き、〝北海道東北考、第6部①―3・11を越えて〟に歴史捏造記事が、東北臨時支局勝木晃之、渡辺玲男の署名入りで出ています。
 道新が厚真町から出土した常滑焼壷に注目してくれたことは、非常にあり難かったのですが、北海道の歴史的経緯を全く無視した解釈によって、歴史を捏造する態度には憤りを通り越して笑うしかないというのが正直な感想です。
常滑焼壷については拙著『アイヌ先住民族、その不都合な真実20』にも触れましたが、常滑焼壷は約八六〇年前に製作されており、藤原氏の仏教布教による国内統治を目的として奥州各地に造営された経塚に用いられる壷と同種であり、この頃すでに厚真町は奥州藤原領であったこと、少なくともその影響下にあったことが示唆されます。そして北海道に仏教が伝来したのは遅くとも一一五〇年ころということになります。これはアイヌ民族成立の一〇〇年以上前のことです。つまりアイヌが北海道の先住民族などではないという物的証拠ととらえるのが普通です。
ところが道新の記事は、「形状や出土場所から、仏教の経典を入れ土に埋める『経塚』に使われた可能性があるという。東北史に詳しい弘前大の斉藤利男教授(62)は『本州から渡った仏教を信仰する和人が集団で厚真に居住し、アイヌ民族と交易していたのでは』と推測する。」と、この時期まだ擦文文化の時代で、アイヌ民族などは出現していないにもかかわらず誤った口述をそのまま載せています。
さらにひどいのは、だれが何処から引っ張ってきたのか出典を明らかにせずに、「津軽海峡を越えた北海道・東北の歴史」という図を載せています。それによると、縄文時代(互いに縄文人が往来し、共通の文化圏を形成)→4~7世紀ごろ(アイヌ民族が北東北などに南下)→12世紀ごろ(奥州藤原氏がアイヌ民族と交易し道内にも拠点?)→~江戸時代(安東氏や蠣崎氏(松前氏)が蝦夷地に)→~明治時代(北前船が本州と北海道とを結ぶ航路で隆盛。東北から多数の開拓民が来道)となっています。
一面に記事を寄せている、瀬川拓郎旭川市博物科学館主幹のかねてよりの主張であるアイヌと縄文人の連続性を真に受けて、北海道の時代区分としてすでに確立している〝続縄文時代〟および〝擦文文化期〟の人々や〝オホーツク文化人〟の存在を消し去った誤った図を堂々と載せています。
これこそまさしく拙著『自殺するのがアホらしく本』や先掲書で指摘したイデオロギーの自己膨張的拡大の典型例でしょう。既成の理論(日本国および日本国天皇は国外には侵略を、国内には民族弾圧をする)を正しいものとしてこれと整合性をもつ「正しいもの」の連続性によって仮説の傍証を行うものです。ですからこの仮説に整合しない続縄文時代や擦文文化期などは抹殺して、整合する「正しいもの」、つまり縄文人→アイヌ民族という時代設定をするのでしょう。
それどころか、アイヌが北海道の先住民族などではない物証である常滑焼壷が出てきてしまったために、アイヌ民族の出現を従来の13世紀(鎌倉時代)以降という定説まで抹殺して、それ以前の和人とアイヌの交易をでっち上げる暴挙までしてしまうのです。
竹島・尖閣問題での半島や支那の主張にはあきれ果てますが、この道新の記事はその半島・支那も赤面して裸足で逃げ出すような恥知らずな記事というしかありません。
北海道新聞は直ちに編集者会議を招集して、アイヌ問題に関する記事の歴史的検証を行い、正すべきはしっかりと訂正すべきです。

10/23ひどい歴史の改ざん

半島・支那も赤面して裸足で逃げ出す歴史捏造
 北海道新聞10月23日朝刊一面五段ぶち抜き、同じく二面も五段ぶち抜き、〝北海道東北考、第6部①―3・11を越えて〟に歴史捏造記事が、東北臨時支局勝木晃之、渡辺玲男の署名入りで出ています。
 道新が厚真町から出土した常滑焼壷に注目してくれたことは、非常にあり難かったのですが、北海道の歴史的経緯を全く無視した解釈によって、歴史を捏造する態度には憤りを通り越して笑うしかないというのが正直な感想です。
常滑焼壷については拙著『アイヌ先住民族、その不都合な真実20』にも触れましたが、常滑焼壷は約八六〇年前に製作されており、藤原氏の仏教布教による国内統治を目的として奥州各地に造営された経塚に用いられる壷と同種であり、この頃すでに厚真町は奥州藤原領であったこと、少なくともその影響下にあったことが示唆されます。そして北海道に仏教が伝来したのは遅くとも一一五〇年ころということになります。これはアイヌ民族成立の一〇〇年以上前のことです。つまりアイヌが北海道の先住民族などではないという物的証拠ととらえるのが普通です。
ところが道新の記事は、「形状や出土場所から、仏教の経典を入れ土に埋める『経塚』に使われた可能性があるという。東北史に詳しい弘前大の斉藤利男教授(62)は『本州から渡った仏教を信仰する和人が集団で厚真に居住し、アイヌ民族と交易していたのでは』と推測する。」と、この時期まだ擦文文化の時代で、アイヌ民族などは出現していないにもかかわらず誤った口述をそのまま載せています。
さらにひどいのは、だれが何処から引っ張ってきたのか出典を明らかにせずに、「津軽海峡を越えた北海道・東北の歴史」という図を載せています。それによると、縄文時代(互いに縄文人が往来し、共通の文化圏を形成)→4~7世紀ごろ(アイヌ民族が北東北などに南下)→12世紀ごろ(奥州藤原氏がアイヌ民族と交易し道内にも拠点?)→~江戸時代(安東氏や蠣崎氏(松前氏)が蝦夷地に)→~明治時代(北前船が本州と北海道とを結ぶ航路で隆盛。東北から多数の開拓民が来道)となっています。
一面に記事を寄せている、瀬川拓郎旭川市博物科学館主幹のかねてよりの主張であるアイヌと縄文人の連続性を真に受けて、北海道の時代区分としてすでに確立している〝続縄文時代〟および〝擦文文化期〟の人々や〝オホーツク文化人〟の存在を消し去った誤った図を堂々と載せています。
これこそまさしく拙著『自殺するのがアホらしく本』や先掲書で指摘したイデオロギーの自己膨張的拡大の典型例でしょう。既成の理論(日本国および日本国天皇は国外には侵略を、国内には民族弾圧をする)を正しいものとしてこれと整合性をもつ「正しいもの」の連続性によって仮説の傍証を行うものです。ですからこの仮説に整合しない続縄文時代や擦文文化期などは抹殺して、整合する「正しいもの」、つまり縄文人→アイヌ民族という時代設定をするのでしょう。
それどころか、アイヌが北海道の先住民族などではない物証である常滑焼壷が出てきてしまったために、アイヌ民族の出現を従来の13世紀(鎌倉時代)以降という定説まで抹殺して、それ以前の和人とアイヌの交易をでっち上げる暴挙までしてしまうのです。
竹島・尖閣問題での半島や支那の主張にはあきれ果てますが、この道新の記事はその半島・支那も赤面して裸足で逃げ出すような恥知らずな記事というしかありません。
北海道新聞は直ちに編集者会議を招集して、アイヌ問題に関する記事の歴史的検証を行い、正すべきはしっかりと訂正すべきです。

10/23目に余る道新記事

あまりにも目に余る記事なので投稿します。
半島・支那も赤面して裸足で逃げ出す歴史捏造
 北海道新聞10月23日朝刊一面五段ぶち抜き、同じく二面も五段ぶち抜き、〝北海道東北考、第6部①―3・11を越えて〟に歴史捏造記事が、東北臨時支局勝木晃之、渡辺玲男の署名入りで出ています。
 道新が厚真町から出土した常滑焼壷に注目してくれたことは、非常にあり難かったのですが、北海道の歴史的経緯を全く無視した解釈によって、歴史を捏造する態度には憤りを通り越して笑うしかないというのが正直な感想です。
常滑焼壷については拙著『アイヌ先住民族、その不都合な真実20』にも触れましたが、常滑焼壷は約八六〇年前に製作されており、藤原氏の仏教布教による国内統治を目的として奥州各地に造営された経塚に用いられる壷と同種であり、この頃すでに厚真町は奥州藤原領であったこと、少なくともその影響下にあったことが示唆されます。そして北海道に仏教が伝来したのは遅くとも一一五〇年ころということになります。これはアイヌ民族成立の一〇〇年以上前のことです。つまりアイヌが北海道の先住民族などではないという物的証拠ととらえるのが普通です。
ところが道新の記事は、「形状や出土場所から、仏教の経典を入れ土に埋める『経塚』に使われた可能性があるという。東北史に詳しい弘前大の斉藤利男教授(62)は『本州から渡った仏教を信仰する和人が集団で厚真に居住し、アイヌ民族と交易していたのでは』と推測する。」と、この時期まだ擦文文化の時代で、アイヌ民族などは出現していないにもかかわらず誤った口述をそのまま載せています。
さらにひどいのは、だれが何処から引っ張ってきたのか出典を明らかにせずに、「津軽海峡を越えた北海道・東北の歴史」という図を載せています。それによると、縄文時代(互いに縄文人が往来し、共通の文化圏を形成)→4~7世紀ごろ(アイヌ民族が北東北などに南下)→12世紀ごろ(奥州藤原氏がアイヌ民族と交易し道内にも拠点?)→~江戸時代(安東氏や蠣崎氏(松前氏)が蝦夷地に)→~明治時代(北前船が本州と北海道とを結ぶ航路で隆盛。東北から多数の開拓民が来道)となっています。
一面に記事を寄せている、瀬川拓郎旭川市博物科学館主幹のかねてよりの主張であるアイヌと縄文人の連続性を真に受けて、北海道の時代区分としてすでに確立している〝続縄文時代〟および〝擦文文化期〟の人々や〝オホーツク文化人〟の存在を消し去った誤った図を堂々と載せています。
これこそまさしく拙著『自殺するのがアホらしく本』や先掲書で指摘したイデオロギーの自己膨張的拡大の典型例でしょう。既成の理論(日本国および日本国天皇は国外には侵略を、国内には民族弾圧をする)を正しいものとしてこれと整合性をもつ「正しいもの」の連続性によって仮説の傍証を行うものです。ですからこの仮説に整合しない続縄文時代や擦文文化期などは抹殺して、整合する「正しいもの」、つまり縄文人→アイヌ民族という時代設定をするのでしょう。
それどころか、アイヌが北海道の先住民族などではない物証である常滑焼壷が出てきてしまったために、アイヌ民族の出現を従来の13世紀(鎌倉時代)以降という定説まで抹殺して、それ以前の和人とアイヌの交易をでっち上げる暴挙までしてしまうのです。
竹島・尖閣問題での半島や支那の主張にはあきれ果てますが、この道新の記事はその半島・支那も赤面して裸足で逃げ出すような恥知らずな記事というしかありません。
北海道新聞は直ちに編集者会議を招集して、アイヌ問題に関する記事の歴史的検証を行い、正すべきはしっかりと訂正すべきです。

差別

拝見していて 切なくなりました。
差別はあってはいけないけれど、現実にたくさんあります。
自覚していない部分もたくさんあるけど自分もしてるし、されてもいる。

「民族差別」になるのかとおもいますが
多分容姿等でアイヌと認識されちゃうんだろうと思いますけど。

以前テレビで黒人男性が日本人女にモテるというのありました
(ほんとにか?)
アフリカ出身の黒人は「出身地がアフリカ」と言えば
振り向きもされないが「アメリカ」と嘘をいうと途端にモテると
アメリカの黒人もルーツはアフリカからの奴隷がほとんどですね
容姿からでは区別はなかなかつきません
(アメリカは赤ちゃんの時、うつ伏せ寝なので頭の形はいいですがアフリカは日本人と同じで仰向けなのでちょっと絶壁ですね)

これは何を意味するかと考えますと
〇アフリカ黒人よりアメリカ黒人の方がお金がある
〇アフリカよりアメリカの方が教育がなされ
 教養・エチケット・マナーがきちんとしてる
〇アフリカよりアメリカの国の方が衛生的・綺麗
〇アフリカよりアメリカの方がわかりやすい
 等です

結局ステレオタイプに振り回されているかもしれないのですが
抜け目ない日本人女は一般的な本質を見抜いています

自分の経験談を書きますと、
アメリカにいたときはすれ違いざまに
「Remember? Pearl harbor!!」
(真珠湾を攻撃してきたよな!忘れないぞ)
「チビ」「イエローモンキー」「キツネ目」など 結構学校でも言われましたね
さすがにアメリカ人の方がもっとデブなので
「デブ」とは言われませんでしたが。(笑)
経済的に飛ぶ鳥落とす勢いの日本でしたので、今の「中国へのバッシング」よりも酷かったです。「戦争で負けたくせに、アメリカから技術を盗みやがって」「全部アメリカが教えたんだぞ」みたいな。そんな話はしょっちう言われました。

「真珠湾攻撃」など 歴史に弱い私とまったく関係がないけど、
「9.11」ほどの衝撃をアメリカ人は「日本人」から受けたのですね。
「9・11」以降イスラムはアメリカでは肩身がせまいですが
その前の矛先は「日本人」であったことは確かです

それでも 自分を理解して・好きになってくれ・守ってくれる友達がいましたし、日本人の器用さ、勤勉さ、教育の高さを誇りに思っていましたので、深く考えることもなかったです。(天然^^;)

私の話はあちこち飛び関係ないかもしれませんが
結局 「アイヌ」としての自信を持てる教育・環境・自己奮起があると
「民族」としては よりいいのかもしれないですね。
因みに私は 苛められた時は「言い返せ」と 子供たちには教えています

なんの参考にもならないかもしれませんが
ちょっと書いてみました



本質

私は釧路地方で生まれ育ちましたが、学友を含め、出会った人たちの中で「誰がアイヌ系か?」と思ったことは無く、身の周りで民族差別はありませんでした。
「アイヌ系であるかないか」が問題ではなく歴史背景、社会情勢等考慮しつつ「人の行いとしてどうなのか」を重要視しています。

差別利権は許し難いことです。

ただ、差別利権がどうこう叫んでいる人達の背後に統一教会がいるとわかると急に胡散臭い感じがします

チャンネル桜を紹介したのが失敗でしたねw

厚真町は奥州藤原氏領

厚真町は奥州藤原氏領だった

 「厚真町で出土した常滑焼壺は約八六〇年前に製作されており、(奥州)藤原氏の仏教布教による国内統治を目的として奥州各地に造営された経塚に用いられる壺と同種であり、この頃すでに厚真町は奥州藤原氏領であったこと、そして北海道に仏教が伝来したのは遅くとも一一五〇年ころということになります。これはアイヌ民族成立の百年以上前のことです」(「アイヌ先住民族、その不都合な真実20」123ページ)

 壺一個が見つかったことで「厚真町=奥州藤原氏領」とは、飛躍しているように感じるが、頭が高速回転する名医の的場浩司氏には特段の説明が不要ない真実なのであろう。代わりに頭が平凡な私が、皆さんにも納得できるよう補足(蛇足)して差し上げたい。
 奥州藤原氏が栄華を極めた「みちのく」は、蝦夷地と擦文文化を共有しあっていた交流圏でもある。藤原氏は「俘囚」「夷」を祖とするが、みちのくに覇を唱え、仏教を受容し浄土思想に基づく世界をこの世に現出した後も、その祖先の血脈につながる意識を持ち続けた。1126年(天治3年)、藤原清衡が奉じた「中尊寺供養願文(がんもん)」を見てみよう。
 「弟子者東夷之遠酋也(中略)弟子苟(いやしくも)資祖孝之余業、謬居俘囚之上頭、出羽陸奥奥之土俗、如従風草、粛(みし)慎(はせ)挹婁(ゆうろう)之海蛮、類向陽葵。垂拱寧息三十余年、然間時享歳貢之勤、職業無失、羽毛歯革之贄、参期無違」

 すなわち藤原清衡は自らを篤い仏教信徒である一方、「東夷之遠酋」「俘囚之上頭」に位置付け、出羽、陸奥が風になびくように従うのはもとより、海の向こうの蝦夷地からもワシの羽、海獣や陸獣の牙や皮を持って欠かさず「歳貢」して来る、と説明しているのである。

この願文だけでも、藤原氏の領有は明白で的場氏は「厚真町は藤原氏領だった」とみみっちい話ではなく「蝦夷地はすべて藤原氏領だった」と次回に稿を改めて出版されるといいだろう。
 ところで、こんなに明白な文書があっても「分からず屋」とはいるものである。例えば、「壺の中に経典が入っていない」、「経塚も見つかっていない」「布教というからには信者がいただけでなく、宗教的な指導者(僧、神父に相当する者)が必要だ」などである。
 さらには「領土というからには支配を裏付ける施設、例えば朝廷の東国経営に見られるような城砦は?」などという輩も出てくるかもしれない。それらを実証するには大掛かりな発掘が必要でカネがかかりすぎ、しかも必ず発掘できるとは限らない。よって無駄だし、歴史の理解を停滞させないためにも、そんな分からず屋の連中は無視してもよいだろう。
 一方、「歳貢」を以て領有、支配の証拠と考えると新たな問題も惹起されかねない。例えば、対馬藩は江戸時代、李氏朝鮮に遜ってコメ不足を賄っていた。その故に不逞な朝鮮人は「対馬はわれらのものニダ」とふざけたことを言うのだ。また沖縄に関しても琉球時代の朝貢を以て、北京の豚鼻どもは「沖縄は、わが核心的利益」とか言い出しかねない(内部文書では、既にそう記しているようだ)。さらには魏志倭人伝を持ち出して「卑弥呼の命令で、難升米(なしめ、なんしょうまい)が、生(せい)口(こう)(奴隷)をお土産に朝貢に来たのだから北海道を除く日本もわが中国の領土アルヨ」などと言い出す恐れもある。その場合に備えて、邪馬台国が地方政権だったのか、中央政権だったのか、歴史を歪める論争が巻き起こりかねない。そんな想像をするのも腹立たしく、まったく不愉快な豚鼻どもである。

 ところで、厚真町の隣の苫小牧市では、米国南北戦争の際の南軍の制服のボタンが一つ出土している。その理由は長く謎だったが、今回の的場博士の玉稿を拝読し参考にさせていただいた結果、「苫小牧は、南軍の占領地で、そこで北軍との戦闘が行われた」という結論に達した。ただし、日本の女子高校生の風習を鑑みるに、南軍兵士に惚れた女が胸の第二ボタンを貰い受けたが、うっかり落としてしまったという可能性も捨てきれないでいる。

26歳の患者さんへ、「痛み」の解決方法

 このブログで26歳の患者さんから「痛み」の関する相談があった。自身も苦しんだことがり、さらに4歳の息子さんにも遺伝しているのではないか、という深刻な悩みである。
 その分野では、旭川の医師、的場浩司さんが多くの患者を救っている名医なのでご推薦申上げたい。
 ◎的場さんの治療方法 ①おばあさんの患者の例を繰り返し説明する。すなわち、「痛み」を感じるのは変な人で、普通の人は痛みなど感じないということ②頭の良さを注目され、東京に遊学した自意識過剰な青年の事例も繰り返し説明する。すなわち、彼も頭痛持ちで、たまに痛くない時があるのだが「痛くないはずがない」と疑心暗鬼になり、そして本当に痛くなると安心するという厄介な症状である。これは事故で右足を失った人が「右足首が痛い」と訴えるようなファントムに似ている。③ ①②の事例を合わせて、「痛みなど本当はないのだ」と患者に納得いくまで繰り返して安心して帰ってもらう。
 的場医師の治療では「繰り返し」がポイントである。この欄の投稿でも同じ内容の投稿をタイトルを変えて6回も投稿している。この根気良さが、患者さんの信頼を勝ち得ているのだ。痛みの専門医なのに、「痛みはない」というのは、患者さんが減るリスクもある。あえて信念を通す、赤ひげの名医である。
 また、砂沢陣氏は医師ではないが「人生相談」という形式で患者の悩みに応えている。
 ◎砂沢氏の回答 ①医事評論家で、的場氏と同じ考えの小野寺まさる氏の見解を絶賛し「痛みというものはない」と断定する②ところが、自分や肉親に痛みがあった経験を紹介する③ ①②の矛盾で相談者が困惑しているところに、相談とは関係ないことを延々と書き連ねる。その結果、相談者は頭がグラグラして、本来の痛みもどこかへ吹っ飛んでしまう。これも優れた知恵と言えよう。

 この「痛み」の部分を「差別」と読み替えていただいても、実に有益な見解が得られることも申し添えます。



大規模な混浴だって?

 このブログに、同じ内容をタイトルを変えて6回も投稿することでおなじみの的場博士のご著書に「上ノ国町で大規模な混浴が行われている」と書いてあったので、混浴大好きな俺は早速、GWの休みを利用して出かけた。
 混浴風呂があるのは町を見下ろす夷王山で、俺は期待にフル勃起の股間を押さえながら浴場に駆け込んだ。
 ところがBIKKLE! なんと大きな浴場には、男ばかり670人がいるのに、女ときたらたった3人。しかもおばあさんが二人に子供が一人ときたもんだ。これで「大規模に混浴が行われている」なんて書くかなあ。俺は頭にきたね。
 しょんぼり帰ってきた俺は、退屈しのぎに「新羅之記録」という、つまらない本を読んでGWを過ごした。
 そこには、1550年、蠣崎季広が東西の酋長に対して、商船から徴収した税の一部を「夷役」として与える、という記載があった。西の酋長である「勢田内の波志多犬(ハシタイン)を召し寄せて上之國天河の郡内に居へ置きて西夷の尹(イン)と為し」と書いてあった。
 俺は、たぶん、あの「大規模な混浴」の中にいたおばあさんは、この波志多犬の身内の人でないかと思ったりもしている。

偉大な開拓農民の骨

偉大なる開拓農民の骨~北海道開拓記念館の再建策として
 
 先日、GWの行楽に開拓記念館(札幌市厚別区)をお勧めした。しかし、GWにみなさんが行ったくらいでは、開拓記念館の収支は完全な赤字で、再び「観覧料値上げ→入場者減」のサイクルを繰り返すことは必至である。私もしばしば同館に足を運んできたが、マンネリな展示にさすがに飽きてきた。
 北海道開拓記念館は2015年度、名称を「北海道博物館」と改称する計画があるそうだ。しかし、看板の架け替えだけで、観客の低迷はどうなるものでもなく抜本的な改善が求められる。また、この施設は「北海道百年記念塔」と共に北海道開基百年を祝い、開拓の偉業をたたえるものだ。よって「開拓」の看板を下ろすことは許されず、そうするならば百年記念塔も解体すべきであろう。さもなくば、憤激した開拓農民の子孫による爆破テロが懸念される。
 47都道府県があるが、「開拓」の偉業が行われたのは北海道だけである。開拓とは「優等人種である和人が、劣等人種であるアイヌの粗放な土地利用を見かねて開拓を行った偉業」であり、北海道民は誇りを抱いている。それだけに、総花的な展示ではなく、むしろ本来の開館の原点である「開拓」をテーマに展示を充実し、道民が自信と誇りをもって道外からのお客様をご案内できるだろう。

さて、どうした展示が求められているのか。その前に、欧米の一流博物館と比べて開拓記念館に欠けているものは何か? それはズバリ、人骨である。決定的に人類の身体標本を欠いている。人間が一番、関心あるのは人間であり、マンモスやナウマンゾウに恋をするわけではないのだ。
 また、北海道内の他の類似施設(博物館、郷土資料館)と比べても展示のコンセプトが似たり寄ったりなのが嘆かわしい。例えば、帯広百年記念館も開設のコンセプト、展示品が酷似している。マンモスに始まって、馬のはく製と馬橇、農家から廃品回収してきたような農機具が並べてあって、もうウンザリだ。

 以上を指摘した上で、改善策を考えたい。まず身体標本だが、ミイラだの初期人類のそれは価格、希少性からいって、とても開拓記念館で収蔵できるものではない。だが諦めることはない。北海道にあって、開拓の偉業を伝える展示品として、開拓農民の骨がある。すなわち、激しい労働と栄養不足に耐えた先人の骨がどう変形しているか。これは人類学的にも、病理学的にも甚だ興味深いテーマではないか。ブラブラ怠けていたアイヌ民族に対して、和人の勤勉さを骨によって啓発するのである。
 入手が難しい? そんなことはない。私に心当たりがある。開拓農家の4代目でもある旭川の医師が、そうした分野にきわめて理解があり「骨を見れば、好戦的な性格だと示唆される」などと斬新な知見を持つ名医である。同医師は、かつて北方少数民族の人骨を手あたり次第掘りまくった旧帝大医学部の出身ではないが、小金井良精、清野謙二、児玉作左衛門ら優秀な人類学者の業績を高く評価していることも好都合で、すなわち彼の先祖の遺骨を提供してもらうのが一番良いと考える。なにしろ彼の先祖は、自分で開拓した田畑を耕作するだけでなくアイヌの地主の畑まで汗を流して労働していたのだ。江戸時代でもあるまいに、嫌なら小作などしなくてよいのに進んでするのだから勤勉この上ない家系なのだ。
 お願いすれば快諾を受けるのは請け合いだが、多忙な名医であるから連絡がつかないので遺骨がある町役場の担当部署、および旭川東署の駐在所には断りの連絡を入れておくとよい。
 発掘の前にはスコップなどの道具のほか、線香と花、それにバナナ(開拓期には最も贅沢で渇望された果物)を用意しておこう。もしも発掘の場に当の医師あるいは親族が訪れた場合、作業を中断して一緒に「慰霊祭」を営むためである。誰も来なかったら作業を続けるとよい。残ったバナナは自分らで食べても構わない。
 弥生時代人の頭骨に脳髄が発見されたことがあるので、開拓期の土葬農民の骨に残っていることも十分に考えられる。脳髄があった場合は、金属製の靴ベラ状の道具を大後頭孔に入れ、かき出すとよい。この際、大後頭孔には傷をつけてはいけない。変に傷を付けると、頭のいかれた科学者が「北海道の開拓農民は飢えに耐え兼ね、仲間の脳味噌を食った」などと馬鹿なことを言い出しかねないからだ。北米の開拓では、そうしたおぞましいことがあったのは事実であるが、わが高等民族はそんなことはしないし、疑念を持たれることも不愉快である。
 
 もっと大事なことを失念していた。発掘作業に当たって犯してはいけないタブーがある。間違ってもアイヌ墓を発掘してはいけないということである。なにしろ北大には千体近いアイヌ人骨があるので今更という感じだ。この発掘に多大なご労苦があったのは児玉作左衛門教授であるが
「アイヌ=コーカソイド説」とか「オホーツク人=アリュート説」などの珍説、加えて、ネズミにかじられた大後頭孔を見て「アイヌ食人説」という奇怪な説を唱えて物笑いの種になったことは周知である。貴重な時間を費やし、さしたる成果がなかったばかりか、死んだ後も「墓泥棒」などと指弾されているのはお気の毒でならない。そんなわけで、旭川の医師も「和人とたいして変わりない」と研究の意義を否定する。間違ってアイヌ墓に手を付けようものなら、その友人も「『モスクワの豚鼻』や困った地元紙『北海道新聞』が騒ぎ立てる」と警鐘を鳴らしているので重く受け止めたい。
 開拓農民の骨は可能な限り多数集めたい。彼の友人の神主などにも協力の輪を広げたい。謝礼は1体4~10万円だろうが、むろん多くの方は趣旨に賛同し、無償で協力してくれる。科学を理解する和人には、分からず屋はあんまりいないのだ。
 さて集まった貴重な標本は、農業開拓コーナーを拡充して展示したい。太鼓の森林に斧をふるう開拓者、馬耕のプラウをあやつる農民。それらを骨格標本に作業着を着せて展示するのである。
 第一次大戦後の豆成金を紹介するため遊郭の玄関で十円札に火をつける骸骨なども面白い。詳しくは十勝毎日新聞の連載を参考にしてほしい。
開拓は女性も主役である。旭川の医師の著書によると、なんと13歳で嫁になり粗食と開拓の重労働に耐えながら男の子ばかり11人も産んだ女性もいたそうだ。まさに「開拓マザー」ともいうべきで、もしこの女性の骨格が入手できれば目玉展示となり、観客はその前で合掌して感謝をささげ、あわよくば寄付金も投じるであろう。
 開拓には陰の部分もある。もしも13~14歳くらいの少女の骨が見つかったら、冷害で身売りされる少女の展示に使うとよい。一張羅を着た少女がうつむき、馬橇に乗り、親父が涙と鼻水をすすりながら雪の荒野に馬を進めるシーンを再現できれば涙を誘う。三浦綾子さんの「泥流地帯」を熟読して展示の工夫を凝らしてほしい。また、吉村昭の「熊嵐」のシーンを再現するのも関心を呼ぶであろう。クマも骨格標本で、まさに喰われようとする妊婦と胎児も骨格なのである。リアルな肉体よりも、かえって骨格の方が想像の世界に巡らせるであろう。
 このように農業開拓のコーナーを充実させると、限られたスペースでは限界がある。幸い、白老町に博物館構想もあるのでアイヌ関係の資料をすべて無償で提供する決断もあってしかるべきだ。
 以上、こうしたアイデアを実現することで北海道開拓記念館の再生は約束されるであろう。

上ノ国の「混浴」温泉

 皆さん、混浴はお好きですか? 僕は大好きです。尊敬する旭川の医師、的場浩司先生のご著書「道内の名湯20」に「上ノ国には、大規模な混浴温泉がある」と書いてありました。
 先生の以前のご著書「道内の名湯50」は、お湯にどっかから持ってきた「湯ノ華」を混ぜた代物でも「名湯」に認定して批判を浴びたため、「20」は捲土重来を期して慎重に選び直された、とうかがっています。
 情報を信じてGWに、上ノ国の夷王山にある温泉に行きました。期待に前を膨らませながら浴場に直行したのですが、なんとBIKKLE! いるのは野郎どもばかりではありませんか。
 ざっと数えたところ、男が670人! タオルで隠しても隠し切れないフル勃起に、男たちの冷たい視線が向けられ穴があったら入りたい感じでした。
 目を皿にして探したところ、隅の方におばあさんが二人、小さな女の子が一人のたった三人。
 「混浴」しかも、「大規模に混浴」と書いてあるのに、それってねえよー。ピチピチ、プリンを想像していた僕はすごすごと帰ってきました。
 帰ってきて「新羅之記録」という、家系を捏造して自慢している本を読みました。そこには、その家系の季広という人が昔、東西のアイヌの酋長に対して、やって来た商船から徴収した税の一部を配分する「夷役」を定めたとありました。
 その西の酋長が、勢田内の波志多犬という人物で「季広は、波志多犬を上之國天河の郡内に居へ置きて西夷の尹と為し」とありました。そこで、上ノ国の温泉にポツンといたおばあさんたちは、この波志多
犬の身内の人ではないかと思います。
 なお、的場先生のご著書には「箱館の志濃里温泉でも、混浴している」と書いてありますが、「新羅之記録」では「数百人が入浴している」と書いてあるだけです。もしかしたら、ここも男ばっかり入浴しているだけかもしれませんのでご注意ください。ホモの方は喜んで行ってください。
 なお、5日の投稿で「太鼓の森」としましたが、正しくは「太古の森」ですので、ご容赦ください。

ひどい歴史の捏造

旭川の医師、的場光昭さんの著書に、「上ノ国では、大規模に(和人とアイヌが)混住していた」とありますが、何をもってそう言い切れるのでしょうか? 
上ノ国町の国指定史跡上之国館跡(勝山館跡)では35ヘクタールにわたって四半世紀に及ぶ発掘が行われました。
ここで和人の墓地の中に、アイヌ墓が見つかって「和人とアイヌが混住していた」と注目されたのは事実です。「新羅之記録」には、蠣崎季広が、東西のアイヌの酋長に対して、商船から徴収した税の一部を配分する「夷役」を定め、その際に西の酋長、勢田内の波志多犬を「上之國天河の郡内に居へ置きて西夷の尹と為し」とあります。
歴史学者の網野善彦も、混住の可能性を指摘していました。発掘成果は、新羅之記録や網野の仮説をクローズアップさせたと言えるでしょう。
 しかしながら、墓域で見つかった墓地は670基あったのに対して、アイヌ墓は2基(埋葬遺体は計3体)でした。この比率では「大規模に混住していた」などと、どうして言えるのでしょう。自分の主張を牽強付会するため、データを無視して事実のように書く。それこそ、歴史の捏造ではありませんか?
 さらに埋葬された人物たちが、上ノ国に定着していたかどうかも不明です。例えばウイマムといった儀礼などで訪れた際に病死した、といったことも考えられます。また、住んでいたとしても、中世の武家社会では珍しくなかった「人質」的な存在であった可能性もあります。それでは「混住」さえも証明できないでしょう。
 「混住」、さらには「大規模な混住」を証明するには、和人墓地とは別に、まとまった数のアイヌ墓が発掘され、定着していたであろうアイヌの生業についても解析されなければならないと考えますが、いかがでしょう。
 なお、5日の投稿で「太鼓の森」としましたが、正しくは「太古の森」ですので、ご容赦ください。

藤原氏の交易相手は?

 旭川の的場光昭氏は、「道新の歴史捏造記事」として昨年10月23日付の「北海道東北考」に関して批判している。厚真町で出土した壺の製作年代が八百六十年前ほどであること、壺は藤原氏が仏教の経典を入れ経塚を造営したのと同タイプのものであるから、①遅くとも一一五〇年ごろには北海道に仏教が伝来した②その当時は、アイヌ文化の成立する一〇〇年以上前である~から、アイヌが北海道の先住民族ではない物証と捉えるべきである、という内容だ。
 厚真町が無人の荒野で、そこに藤原氏の一族が先に訪れ、そのまま今日まで住み続け、その後にアイヌがやって来た、というのなら厚真の先住民は藤原氏の子孫であり、アイヌではなくなる。
 しかしながら、当時の厚真には人間の集団がいて、そこに藤原氏は交易に来ていたのである。その集団とは何者なのか?
 記事はその交易のパートナーをアイヌとしている。的場氏はそれに対して、アイヌ文化の成立は13世紀ごろであり、「その当時(一一五〇年ごろ)にはアイヌ文化は出現していなかった」のだから、道新や瀬川氏(旭川市)や斉藤教授(弘前大)が「歴史を捏造している」という論理になるようだ。
 的場氏の主張の前提となる「アイヌ文化の成立は13世紀ごろ」は正しいのか。
 擦文文化はいつの時点でアイヌ文化へと移行したのか? 的場氏が好んで引用する知里真志保博士は、ユーカラの題材となっているレプンクル(沖の人)とヤウンクル(陸の人)の闘争が、オホーツク人と擦文人の接触を元にしていると考えた。
 この考えを推し進め、藤本英夫氏はユーカラの誕生=アイヌ文化の成立を7~8世紀と考えた。
 考古学的には10世紀後半の東北に出現した内耳鉄鍋が北海道にも普及し12世紀後半には擦文土器は作られなくなった。内耳鉄鍋はかまどではなく、炉で使用できるものなので、この普及は竪穴住居から平地住居への移行にも関係しただろう。
 容器の面でも漆椀、木製容器、樹皮製容器、鉄鍋を伴い、アイヌ文化と同じ内容の擦文文化期の遺跡も見つかっている。石器は、擦文土器の消滅よりも先に使われなくなった。
 このように擦文文化期には、アイヌ文化期にみられるような文化要素が先行しているケースがいくつもあり、擦文文化の終わり=アイヌ文化の始まり、とは言えなくなっている。
 逆にアイヌ文化の成立を14世紀ごろと遅く見積もる考えもあるが、近年では、11~12世紀ごろをアイヌ文化の始まりとする考え方が広まっているように思う。
 的場氏は、どこかで「ウィキペディア」を参考に文章を書いている、と誰かを批判していたが、ことアイヌ文化の成立年代に関して的場氏はウィキペディアを忠実になぞっているようだ。
 因みに、このブログでしばしば登場する小野寺まさる道議が議会で質問した際に道側は「アイヌ文化は12、13世紀ごろ成立した」と答弁している。政治向きの話ではあるが、その答弁は妥当だ。
 こうしたことから、1150年ごろの厚真町で奥州藤原氏の勢力と交易を行っていたのはアイヌ民族、として何も問題はないだろう。 
 また、一歩譲って的場氏が主張するように1150年ごろの厚真町の住民を「擦文文化」段階の人々だとしよう。そうであっても、その人々がほぼストレートに同地のアイヌの先祖である。だから、アイヌ民族より先に奥州藤原氏が厚真町にいた、と主張するのは「詭弁」というものであろう。例えるなら、江戸時代にやって来たアメリカ人が「この土地には薩摩藩人とか長州藩人がいて、日本人というものはいなかった」と言っているのと同じであろう。
 なお、的場氏は年表で北海道の年代から「続縄文」「擦文」期を除外していることも批判している。あ~、やっちゃってるわ!それは、ご指摘の通り。これは、捏造の意図があったというより、無知でバカだからだろう。全国紙でも間違わないのに、北海道新聞が北海道の歴史で間違ってどうする。本当に編集会議を開いて反省すべきだし、大々的に謝罪、訂正もすべきだ。
 ただし、的場氏も自らのしようもない詭弁を反省し謝罪・訂正すべきであろう。
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プロフィール

砂澤陣

Author:砂澤陣
はじめにをご覧下さい。
現代アイヌの差別撤廃運動とその中身。アイヌを謳うアイヌの実態と行末。 原理原則を欠いた逆差別の実態。本質的意識改革の時代ではないのか?「アイヌを喰いものにするアイヌ達?」に強く問いたい。
アイヌ生活支援政策「修学資金」「住宅購入資金」「住宅改修資金」「職業訓練」を私欲の為に利用し似非アイヌを作り上げ、税金を横領する利権アイヌ屋を許してはならない。その他色々な情報を発信していきます。
Jin Sunazawa

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